佐々木健展

コバヤシ画廊
東京都中央区銀座3-8-12 ヤマトビルB1F TEL 03-3561-0515
11:30-19:00 日曜休

1968 宮城県生まれ/1991 宮城教育大学B類美術科卒業/1994 第8回ホルベイン・スカラシップ奨学生
【個展】
1993「平面の試行・3」 仙台市博物館ギャラリー,宮城・「均質について・絵画 」宮城県美術館県民ギャラリー/1994「漸次的色層」ギャラリー・ユキ,宮城/1995「見るものから見る者へ」 リアスアーク美術館,宮城・「漸次的色層II」一年間ギャラリー,宮城/1996「新作PAINTING展」 青城2ndギャラリー,宮城・「PAINTING・不定住と分裂展」ギャラリー青城,宮城/1997「GROUNDLESS PITCH」WHAT’S ART GALLERY ,宮城/1999「GROUNDLESS PITCH II」Gallery ART SPACE ,東京/2002コバヤシ画廊,東京/2003「Re.sailent Pitch」コバヤシ画廊,東京/2004「Re.sailent Pitch II」コバヤシ画廊,東京

【グループ展・他】
1994絵画における三つの展開  宮城県民会館5Fギャラリー・宮城県美術館普及部「公開制作」 宮城県美術館創作室・第49回ワークショップ展 宮城県美術館県民ギャラリー/1995 CAPRICON UNIT展 宮城県美術館県民ギャラリー・DRAWING EXHIBITION青城2ndギャラリー,宮城/1996うぶすな1996展 宮城県美術館県民ギャラリー・版画みやぎ’96 仙台市民ギャラリー,宮城(’96)(’97)/1997境界,分裂,流動 ギャラリー青城,宮城/1998 ubusuna1998 exhibition 宮城県美術館県民ギャラリー・うぶすな展 東京都美術館/1999 EXHIBITION 1999ギャラリー彩園子I・II ,岩手/2000 UBUSUNA2000 ギャラリー青城,宮城/2001 Exposition D’UBUSUNA Cite Internasionale des Arts ,PARIS版画みやぎ2001 せんだいメディアテーク,宮城/2002第5回日韓現代美術交流展in Sendai せんだいメディアテーク,宮城・ubusuna 2002 FINAL 宮城県美術館県民ギャラリー/2003 Message2002[以降毎年出品]/2004リアスアーク美術館開館10周年展 宮城

・・・タイトルは「運転 春」、「運転 秋」など・・・?

運転は普通、車をイメージするんですが、ドライブといった方がいいかもしれません。 駆動するという意味で。私は垂直方向のストロークだけで描くんですよ。

・・・支持体=画布は、ターポリン?

ターポリンというのは、ペナントや垂れ幕などに使われているシートを思い浮かべて頂ければ、それを床に引いて刷毛を使って上下方向にドローイングしてい くんです。画面がドローイングで覆われて、乾かしている間に水性なので絵具が動くんですよ。

シワの凹凸や折り目の凹凸が、鉛筆のフロッタージュみたいな 感じで、ふっと浮いてくる。そこには作者が描いた時間の外側で、別の形が浮いてくるということと、作者の筆跡とが重層されて別のイメージが醸造されるみたいな二層の意味合いがあるんです。

・・・このシートを使われたきっかけというのは?

実験的に支持体を色々と試してみました。基本的にはビニール質のフェティッシュな感じが好きだというのもあったんです(笑)。キャンバスでは出ない艶めかしさがあるので結構ハマってます。

・・・なるほど。この光沢は独特な感じがしますね。ドローイングのストロークが、水の流れのような勢いを・・・それが流れていく時間のスピード感に通じるというか。

描く時はほとんど一瞬ですけども、それが連綿と連なった時に、ひとつの時間を生み出し、浮かび上がってくるものから、また違う時間を生み出している。ドローイングのスピード感と、浮かび上がってくるものの、時間のズレというか重層というか。それが作品のひとつの要素になっているんです。

・・・浮かび上がってきた形態が、鉄条網のようなイメージに見えるので、戦争とかそういう負のイメージを感じてしまいました。

シワの鋭さの出来具合によって、ある作品はそういうイメージが強いだろうし、結構生き物的な見え方もするだろうし、色々なの見え方が出来るかもしれませんね。

・・・作者が物語を紡ぐつもりはなくても、見る側というのは、何かしら読みとろうとしてしまうんでしょうね。図録を拝見すると、以前はカラーの作品を制作されていたんですね。今回黒を基調にされているのは。

初期にも黒い作品を制作していたんですよ。この色はアクリルのメディウムと墨を混合しているんです。墨の種類によっても若干違うと思うのですが、作者としては、色と距離を置いた状態で使っている部分があるんです。記号的な意味合いで使っている部分が実は大きいので、どちらかというと、見る側に投げかけている部分があるんですよね。

見え方の多重性というか。以前はキャンバスに厚みがあったりもしたんですけど、そういう見え方の織り交ぜみたいなものが好きで使っているんです。

・・・記号的な意味合いですか?もう少し説明して頂けますか。

見る人が色彩につきまとう記号的なイメージをどういうふうに受け止めるかは自由なんですけど、作者として、色をチョイスする時に色に思いを入れたりとか、バルールや絵の空間構造を作るために、色をチョイスするというよりは、どちらかというともっとシンプルな選び方をするという意味で記号的といったんです。

例えばアイスクリームでいうとストロベリーは赤だとかみたいな・・・もっと直感的なものというか。黒でいこうかというような感じですね。私の作品は、システム上制作している時と、違った絵になるものですから。

・・・制作したものを見る時にまた違う文脈が読み取れるということですね。

そういうキャッチボールはありますね。

・・・では、タイトルは出来上がってから?

描くシステムは全部同じで、それがひとつのコンセプチュアルな描き方としてまず前提があって、出来上がったものが、自分が意図しない部分が重なることで出来てきたものを最後に見た時にタイトルはつけるんですよ。タイトルを見る人にはイメージの方向性は少しつきますけどね。

・・・これからはどのような方向性を考えてらっしゃいますか。

陳腐かもしれないけど視覚的に強い絵画を目指して続けていくしかないかなという感じですね。

~30日まで。