渡辺晃一 個展 “EVE’s Pore” ~ロダンと肌膚、NUDE or NAKED ~

コバヤシ画廊
東京都中央区銀座3-8-12 ヤマトビルB1F TEL 03-3561-0515
11:30-19:00 日曜休

 近代、ヨーロッパでは多くの美術家達が人体の石膏型を用いていた。

その状況下でロダンが「型どり」と間違えられるような彫刻を制作し、自ら本手法を否定したのは何故か?

NUDEとNAKED、視覚的現実と美術的現実との相関関係を今日、あらためて問い直したインスタレーション作品

・・・タイトルとなっている「ロダンと肌膚、NUDE or NAKED」はどのような意味ですか?

今回の作品は、ロダンの《青銅時代》と同じポーズをした人物像を、「ライフ・カスティング(生身の人体からの型取り)」から制作しました。ロダンと肌膚との関係については、複雑な意味内容が含まれているので、後程詳しく述べたいと思いますが、おおまかに言って、本作品の主題は、「西洋の美術、ロダン、型どり」に連鎖される問題を、「日本人の裸体(裸婦)」と交叉させて、今日における美術のグローバル的な問題を再提起したものです。

 NUDE とNAKEDという言葉は、ケネス・クラークが著書『ザ・ヌード』に記述した有名な言葉から引用しました。彼はNUDEを西洋美術が追求してきた「理想的な裸体」であり、制作者の意図によってプロポーションを再構成したものを指します。対してNAKEDとは「ありのままの裸体」、衣服を剥ぎ取られた「はだか」です。私が今回、ダンサーの別所るみ子さんをモデルに制作しましたが、作品は石膏による型どりと写真映像から制作しており、そのプロポーションには私の「理想」が付け加えられていないので、ありのままの日本人の身体です。それがクラークの言う「美術の理想」とどう対峙できるのか、本作品で問いかけたいと思いました。

・・・《青銅時代》を取りあげた理由は?

まず第一に、ちょうどロダンが《青銅時代》を制作した年と、私が同年齢だったことがあげられるでしょう(笑)。また《青銅時代》には、「型どり」と関わる有名なエピソードが残されているからです。 

 《青銅時代》は、ロダンがコンクールにはじめて出品した際、「型どり」から制作されたと間違えられて落選したと言われています。しかし実際には本作品をロダンは自らの手で制作しており、その迫真的で写実的な姿が誤解を招いたというエピソードが残されています。ちなみにロダンは自らが制作したことを証明する方法として、《青銅時代》のモデルを撮影した写真が残されています。

 またこのロダンのエピソードに関連して、日本では「型どり」という技法に、よく引き合いに出される美術家がいます。ジョージ・シーガルです。彼はロダンの時代には認められなかった「型どり」技法を用いるという逸脱行為によって、ARTの世界の既成概念を撃ち破ったという話が、日本の美術でもよく語られていますよね。

 しかしながら私がロンドンに住んでいた頃、「ライフ・カスティング」を主題にした展覧会が開催されており、これらのエピソードとは全く異なった見解に重点が置かれていました。

・・・その展覧会とは、どのようなものですか?

『Second Skin』というタイトルで、ヘンリー・ムーアの美術館で開催されていたものです。本展覧会では、19世紀、科学領野に対して当時の美術家が関わった多数の「型取り」作品が紹介されており、多数の「型取り」から制作している現代美術家も紹介されていました。しかし本展ではシーガルは重要な人物として位置付けられていなかったのです。それはシーガルよりも前にヨーロッパでは、「ライフ・カスティング」を用いて制作してきた彫刻家が多数、存在していたからだと思います。特にフランスやイギリスでは、多数の「型取り」作品が制作されており、なかにはモローなどの画家が、美術のモデル用に作製したものや、医学、骨相学、自然科学などの領野とも関わった標本的な意味合いの作品まで、幅広く作られていました(この背景を私は大学美術教育学会誌などで紹介し本にしています)。

 《青銅時代》が制作された頃はまた、型取りとも関連される重要なメディアが登場した時代でもありました。それは写真です。当時の歴史的背景を踏まえると、写真と型取りとの蜜月が読み取れます。さらにそこから再びロダンの作品に照射すると、面白いことに気付かされました。

実はロダンが《青銅時代》を制作したのは、マネの《草上の食事》を制作した10年以上近く後のことです。印象派の画家たちは写真を利用もしくはその「ものの見方」に影響を受けて絵画を制作しており、そのことが公に物議を醸し出されていた時代です。そのようなメディアの扱いを当然、ロダンは意識していたのではないでしょうか。また当時は、多数の彫刻家が「型どり」から作品を制作していて、それも話題となっていました(例えばデシャームなどの彫刻家が有名ですが)。そのような時代背景の中で、ロダンが「男性裸体像」を等身大の大きさで、しかも近づいて見ると「皮膚」のような表面処理を施して制作したのは何故なのか。《青銅時代》が「型どり」と誤解されるのは、当然の成り行きだったと思えませんか。美術書ではよく「型どり」と見なされた理由を「とてもリアルであったから」と短絡的に片付けられていますが、私は逆にロダンはあえて「型取り」と誤解されるような作品を制作した。それは意図的な策略だったとも読み取れます。また彼の作品のもつ写実性とは、写真を見ながら制作していた問題とも関わるでしょう。

・・・今回、展示されている作品を、ロダンの「ものの見方」との違いから、もう少し説明していただけますか?

ロダンが《青銅時代》を制作した当時は、「科学者(Scientist)という言葉が使われ始めていて、新しい「ものの見方」として、客観的に対象を見ることに哲学者や芸術家の視線が向き始めました。Object とObjectiveの関係ですね。その中で写真や「型どり」という手法は、対象を客観性を把握する手段、材料として隆盛していきます。それは個人が主観的に目で見たものを再構成するのではなく、客観的に機械の目を通して記録することに重点が置かれた背景とも重なるでしょう。その中でロダンは、写真や「型どり」には懐疑的な意見を残し、「理想的な裸体像」=NUDEを多数制作しました。

 日本ではよくロダンの彫刻やシーガルの「型取り」が美術館に並んでいますよね。美術=西洋の裸体を象徴していることは、黒田清輝以来の血統となっています。今も日本の公募展で羅列されているように、そのような「日本人離れした裸体」を理想としたプロポーションを、今の若い学生達も追い求めて続けています。

 西洋の美術が伝統的に基盤としてきたのは、マッスやプロポーション、光と影・・・、対象との距離をもって見るということなのですね。それに対して私は、日本の伝統的なものの見方は雰囲気(対象を取り巻く空気、匂い)や素材感のようなものだと思っています。フランス料理と寿司の違いでしょうか(笑)。最近、”スーパー・フラット”という言い方をして日本の伝統をよく比喩していますけど、それは西洋的な「空間/パースペクティブ」に対峙させた意味ですよね。西洋料理は奥行きがあるけど、日本の料理は平板だと言っているようなもの。私は日本の伝統はむしろ”スーパー・肌膚(スキン、テクスチャ)”だと思っています。例えば障壁画であれば、形象を平面で描くことよりも、和紙や墨という素材自体が呼吸しており、そこに自然とのあらたな関係を築いていくことだと。彫刻でも石窟や曼荼羅は、周囲の空気、素材(テクスチャ?)と切り離して考えられない。

・・・会場には今回、映像もありますよね?また映像の反対側に鏡があるのはなぜですか?

実はロダンの《青銅時代》は、ここに展示された作品とは違い、鏡像なんです。右手と左手、重心が反転して作られている。また彼の作品も遠くから距離をもって見ることで成り立っています。彼がよく使用していた言葉、マッス、量感、塊は、対象と一定の距離、奥行きを置いてみることとも言い換えられます。鏡はその象徴として置きました。美的にコバヤシ画廊の白い空間も広がって見えるし。鏡に写った作品は、それ以上には近付けないし、反転している。

 今回の作品を一つのキーワードで括るとすると、実は「陰陽」なんです。昨年、私はコバヤシ画廊で、同じく一人のダンサーのモデルから、「五行」をキーワードに型取りした作品を発表しました。型取りは距離ゼロの状態で制作されますよね。対して「光と影」は対象との距離をもって、はじめて存在します。この距離とは心理的な距離、「客観性」とも関連するでしょう。

 今回の映像は、「型どり」と同じポーズをしている姿を長時間、ビデオ録画したものです。じっと見ていると人物はふらふらしていますよね。会場に訪れた人たちが、実際に作品の設置された「場」と時間の流れを共有していくことになります。今回の展示ではまた、会期中、モデルとなったダンサーの別所るみ子さんの舞踊公演も設けられています。モデルと作品もまた、同じ場と時間で共有し、新たな物語を作っていくことになるでしょう。

 実際に展覧会場に来て鑑賞することとは、同じ空気の中で呼吸をしている作品と出会う場所でもあるわけですよね。その素材感、等身大の意味を追求していくと、私は逆説的にロダンの《青銅時代》を生身の裸体から型取り、制作したいと思いました。西洋的なロダンの「光のヌード(脳のなかの理想像)」と、日本人の「ありのままの裸体(自然の身体)」を関連させたいというイメージがあったのです。

・・・型と映像は静止状態なのに、影が移動するのは、どのような意図があるのですか?

映像として影を動かすことは、時間が動いている状態を表現することです。モデルとなった人物の立ち姿を、そのまま光が固定した状態で映すと、会場に訪れた人が写真のように捉えてしまうこともあるでしょう。

・・・その映像を拝見していると、重力に対して逆らうように立っている姿が辛そうにも見えますよね。

「立つ」ということは、生きていく上で重要な問題ですよね。以前、大野一雄さんにモデルとなっていただいたことがあるのですが、舞踏でも「立つ」というのは、最も重要な要素であると聞きました。「舞踏とはギリギリで突立った死体である」と土方さんが残した名言もあります。ここ数年、私は、モデルが立った型取りを制作する中で、これまでの絵画や彫刻とは違うことに興味が向かっていきました。例えば彫刻で人体像を作る時、塑像では心棒に粘土を肉付けしていきますが、そのようにして制作されたものの大半は、重心が異なっている。作品が自立しないのですよ。一生懸命、台座にも重みを出したり、材料をより硬質なものに変えていきます。人物像が立っているというより、台座が立っている(笑)。ロダンの《青銅時代》も人体像だけでは立たないので、台座に厚みを加えています。ところが一方で、表面から型を取った作品は、重心もそのまま保たれており、自然に立つことができるのです。そこで逆に、その足を垂直、前頭方向に切って、心棒をあてていくと、一本の直線に相当する場所がないことに気がつきました。足は螺旋状にできているんですね。心棒がもし直線で、身体の中心部にあたったら、踏みこんだ足の刺激が内臓に直接当たってしまうでしょう。でも螺旋であれば力が外にぬける。そのような表面と重心との関係が見えてきた。

・・・遺伝子は螺旋だというのを聞いたことがありますが、身体も螺旋を描いているんですね。

「立つ」ということ、重心という最低限の要素に向かっていくと、人間の「生命」にとって重要な意味が繋がっているんだなあと実感しています。

・・・渡辺さんのHP(http://www2.educ.fukushima-u.ac.jp/~koichiw/)を拝見すると他にも色々な要素の作品を拝見することが出来ますが、作品の通底する流れを言葉にすると・・・。

今回の展示では、私は実際にモデルさんがいたという足跡、痕跡みたいなものと、ヴァーチャルな映像、写真を通して見た世界との関係性を作るような表現を目指してきました。たとえばジョージ・シーガルの型どりは、そのモデルがいた物理的な痕跡とか、ポンペイのような記憶の虚無感みたいな話が多く含まれいますし、ゴームリー(以前、私は彼のスタジオでインタヴュ?させていただいたことがあるのですが)、内部と外部との物理的な関係に重きを置いています。しかし私が型どりを用いるのは、他者との関係性を含む「肌」そのものに興味がそそられるからであり、作品もまた触覚的な「匂い」が強く引き出されます。立体とモデルと映像がこの空間のなかにあり、この時間、この場所で出会った記憶が、見る側の頭のなかでまとまったときに、より現実に近くなるのであって、「現実の物理的な断片」そのものを主観的に加工したものに興味はないと言っていい。だから作品を離れて見た時と近づいて見た時との関係や、重心と肌膚との関係のような、内側と外側の繋がりこそ現実だという基本的な考え方が生まれました。

2005年9月1日(木)?9月30日(金)から開催しているインターネット展覧会「5つの私」
(http://www2.educ.fukushima-u.ac.jp/~koichiw/koichiw/5thme/index.html)でもそうですが、たとえば出会う人によって自分の性質は変わっていくじゃないですか。自分自身の体は皮膚で覆われている一つのもの。でも自分というのは確実に確定されたものではなくて、バラバラな要素があり、その焦点があっている部分が自分であって、他者との関係性のなかでしか自分自身を形作れない。その意味がわかると、人間の関係性や世界観や社会や政治の問題など、色々見方が変わってくるのです。

今回は、9月3日、7日の土曜日にモデルの別所さんが、ダンスの公演をしてくれますが、ご覧になった方がそこでも初めての経験をすることで組み替えて、新たな物語を進めていけばより強い現実が生まれて来るだろうと思っています。

・・・これからのご予定は?

これから5箇所で展覧会があります。詳しくはこちらをご覧いただければ
(http://www2.educ.fukushima-u.ac.jp/~koichiw/asca/asca_watanabe.html#1)分かり易いと思います。

~10日まで。

(C) WATANABE Koichi
photo(c)末正真礼生 / Mareo SUEMASA

1967 北海道に生まれる
1992 筑波大学大学院修士課程芸術研究科修了
1992-93 東京芸術大学大学院研究生(美術解剖学研究室)
1994 筑波大学医学専門学群にて学ぶ
2001-02 文部科学省在外派遣研究員として合衆国、連合王国に滞在
The Pennsylvania State University School of Visual Arts 客員研究員
Royal college of Art  Post Graduation
Chelsea College of Art & Design 客員研究員

現在 福島大学 人間発達文化学類 文学・芸術学系 絵画研究室 助教授

【主な作品発表】

個展
1991 『羅象』茨城県つくば美術館/1993 『媒体の肌膚』ギャラリー美遊、東京/1994 『A3・皮膜都市』( 全国6都市にて同時期開催・札幌市/PURAHA、つくば市/Creative house AKUAKU, 東京/ギャラリーアリエス,名古屋/ラブコレクションギャラリー、 京都/ギャラリー16,佐賀/ギャラリーミトヤ)/1995 『 現代のパスワード vol.1 渡辺晃一 Veronica 肌膚の厚さ・熱さ 』斎藤記念川口現代美術館/1997 「 新世代への視点’97 ・10画廊からの発言 」コバヤシ画廊, 東京/2000 『疾走する皮膚×大野一雄』川口現代美術館スタジオ、埼玉、『Life Hands』Tepco銀座館、東京 /2002 『 On The Earth 《地膚・皹皺》』Zoller gallery,ペンシルバニア、『 Flower & Family』Christ Church ,ロンドン/2003 『 Outward – In the World』Century gallery,ロンドン、『 Family&Fronter』(Christ Church,ロンドン)/2004 『うつしみ』コバヤシ画廊、東京

グループ展
1992 「今日の美術 10人の原自然」北海道立近代美術館/1994 「 現代の人間像 <わたし>という存在証明 」北海道立近代美術館/1996 「第25回 現代日本美術展」東京都美術館、「第 1回 PHILIP MORRIS ART AWARD 」スパイラル、東京/1997 「 VOCA’97 現代美術の展望 -新しい平面の作家たち 」上野の森美術館/「 ART IN TOKYO No9 <私>美術のすすめ 」板橋区立美術館 /1998 『アジアプリントアドベンチャー1998』北海道立近代美術館、『 創世記』コバヤシ画廊、東京、『胎動』INFORMUSE、東京『新世代 ‘98』福島県立美術館/1999  国際パフォーマンスフェスティバル 招待参加 (会津)/2000  「美術はなにを記録してきたか」北海道立帯広美術館/2001 『94歳・大野一雄の舞装と素顔』アートギャラリー環、東京/2002 『 Lights and Shadows』(The Pennsylvania State University )、 INSEA(New York Marriott Marquis / ニューヨーク,U.S.A/2003 『Art Amalgam』INNER SPACES、ポーランド、大地の芸術祭・越後妻有アートトリエンナーレ2003(新潟県松代町 )/2004 『大野一雄展』(BankART1929/横浜)、『CRANE 国際展』古城Chevigny、フランス ブルゴーニュ/2005 『老い』福島県立博物館

【主な著書】
1998 『4本足のニワトリ』(共著)、国土社 
1999 『緑色の太陽』(共著)、国土社 
2001 『絵画の教科書』(共著/谷川渥監修、小澤基弘、渡邊晃一編著)日本文教出版社