現代美術作家 坂本太郎 作品を紹介してます。

インフォメーション
・坂本太郎 展 森へ 2007年4月16日(月)-5月12日(土)
中京大学アートギャラリーC・スクエア
名古屋市昭和区八事本町101-2
TEL 052-835-5669 9:00-17:00 日・祝日

・坂本太郎展 2007年5月29日(火)-7月1日(日)
ヒルトン名古屋 2F THE SEASONS Art&Dine
愛知県名古屋市中区栄1丁目3番3号
TEL 052-212-1111 Fax: 052-212-1225

・坂本太郎 新作展 2007年6月10日(日)-23日(土)
ギャラリーIDF
名古屋市名東区社が丘1-201・IDFビル2F
TEL 052-702-1206

【プロフィール】
1970 埼玉県生まれ
1988 埼玉県立伊奈学園総合高等学校 卒業
1997 愛知県立芸術大学 美術学部 美術科 彫刻専攻 卒業
1999 愛知県立芸術大学 大学院 美術研究科 彫刻専攻 修了
2000 愛知県立芸術大学 修士課程 修了
【発表歴】
1999 個展ギャラリー妙(愛知,千種)
2000 個展ギャラリーSOL(東京,早稲田)
グループ展 「WELCOME ART」(愛知,岡崎)
2001 個展フタバ画廊(東京,銀座)
2002 個展フタバ画廊 (東京,銀座)
2003 グループ展「18人の立体表現」展(愛知,平針)
個展小野画廊 京橋(東京,京橋)
グループ展 ギャラリー安里 30周年記念展
「30代若手作家によるコラボレーション」(愛知,覚王山) 
作品展示シンポジウム(東京,新宿オゾンホール)
2004 個展フタバ画廊(東京,銀座)
個展 小島びじゅつ室 (東京,雪谷大塚) 
2005 個展 メタルアートミュージアム(千葉,印旛) 
個展 ギャラリーアート ポイント(東京,銀座) 
2006 二人展 坂本太郎・田原幸二 ~地平へ~ ギャラリーIDF  (愛知/本郷)

グループ展 ジャングルコラボレーション  ギャラリーIDF(愛知/本郷)

グループ展 「SHAIHENS」  ギャラリーラサ・サラ・ナランハ(スペイン/バレンシア)

シンポジウム 国際木彫シンポジウム(ドイツ、ザクセン州/マルクノイキルフェン)

 個展 ギャラリー坂巻(東京/京橋)

【受賞歴】
1997 国際瀧富士美術賞 受賞
1997 愛知県立芸術大学 美術学部 卒業制作展 桑原賞 受賞
1999 愛知県立芸術大学 大学院 修了制作展 買上げ賞 受賞
2002 愛知教育文化財団 第13回助成賞 受賞
2006 ドイツ木彫シンポジウムFLUR2006 1等賞

・・・学生時代は人体を制作していました。
そこに全てがあるのではないかと、当時は幻想みたいなものをもっていたのかもしれません。ただ、SOLでの個展(2000年 早稲田)からは、男がいて女がいて、もう一つ違う存在がいる。三者の関係性を意識して作っています。

・・・もう一つの存在とは。
人間を含めた全ての生き物を遠くから見ている何か。その「何か」の象徴みたいなもの。ソウルとかスピリットとか、いろいろな言い方があるけれど、魂というと、どうしても宗教性みたいなものがついてきて難しいところがあるので・・・僕はそれをよくカタカナで、「ナニカ」と書きます。

・・・その「ナニカ」は、門のシリーズ、扉のシリーズ、森のシリーズなど、それぞれタイトルは違うけれども、全ての作品に通底しています。
僕の仕事は原風景みたいなところを根っこにしている部分があって、小さいときに雑木林で地面を掘り起こしたこととか、泥だらけになって、夕暮近くまで遊んでいたことなど、木の匂いをかぐと記憶が連鎖して呼び起こされてくるんです。それで材料として木を選んだように思います。
低山帯で見る植物は、高山とは違った湿気と暗さみたいなものが多分にあります。森林限界以前の匂いとか、湿気とか温度とかは、ものすごく意識しているんです。ですから会場は、何かしら潜んでいるような湿気があって温度が低い感じにしたいのです。
ただ、森をキーワードにして制作していると、「森林保護についてどう思うかとか、それを意識しているのかとか、何かアイロニーとかメッセージがあるのか」と言われる場合もあります。僕の場合は、そこに問題意識をもつのではなく、日々暮らしているなかに色んなものが積もってきているという感じなので、あまり理由付けみたいなものを大きくしないで、単純に作る。見せる。というところを大事にしたいと思っています。酒種というか。発酵するときの種みたいな感じで、自分の中に入ってきたものを、自分なりのものに醸造させていきたいと思いますから・・。

・・・「ナニカ」を求めて・・・。
人間には、必ず死のイメージが付いてまわります。人は生まれたときから死に向かって時間を費やすわけですからね。でも僕の死のイメージは、生の裏返しです。本当は生まれて死んだらそこで終わりなんだけれども、そうじゃない「ナニカ」を求めて、ただ、僕の場合は形にすることを目的にするというよりは、探っている過程みたいなものが作品なんです。何故かといえば時間は常に流れ、見る対象も刻々と変わるし自分も変わって行ってしまう、でもその探ったときの指跡爪跡みたいなものが残っていくんだと思うんです。それに共感してくれる人というのは、自分が探しているものとリンクさせて見てくれるだろうし、違うものを見る人もいる。それはそれで構わないと思っています。