角居康宏展

■画歴
1968

石川県生まれ
1993
金沢美術工芸大学  美術工芸学部産業美術学科

工芸デザイン専攻卒業

【個展】

1997
游アートステーション  長野
1998
Hodge Podge  京都
2000
コバヤシ画廊  東京
2001
コバヤシ画廊  東京
2002
Gallery Den  大阪
2003
ギャラリー深志  長野
2004
ギャラリー川船  東京

ギャラリー川船  東京

【グループ展】
1995 天理ビエンナーレ  奈良
1996 ギャラリー玉川  石川
1997 洞爺湖国際彫刻ビエンナーレ  北海道
1998 「素材に挑む四人展」金沢市民芸術村  石川
2000 「机上空間の為のアートワークス展 ?\」
コンテンポラリーアートNIKI  東京
2001 「現代造形7人展」 松坂屋本店  愛知
2002 「北陸中日美術展」 金沢市美術館  石川
2003 「現代造形7人展」 松坂屋本店  愛知
「アクセス/アクセサリー展」高岡市美術館  富山
2004 金沢美大OB東京・銀座大展覧会参加展
2005 中国国際画廊博覧会(北京 ギャラリー川船ブース)
KOREA INTERNATIONAL ART FAIR(ソウル ギャラリー川船ブース)
2006 中国国際画廊博覧会(北京 ギャラリー川船ブース)

・・・床に展示された5点の作品のタイトルは「原初II」、少しご説明ください。
以前ブロンズで作った作品のタイトルを「原初I」とつけましたので、こちらはIIになります。シリーズで制作したものが15点あるのですが、今回展示しましたのは、そのうちの5点です。原初というのは、宇宙のはじまりをイメージしています。

・・・宇宙のはじまりですか?
はい。僕の根底のテーマは「はじまり」ということなんです。それは学生時代にブロンズを制作していて、金属を飛ばすための火の色を見たことに起因しています。炎はオレンジ色から青色、緑色、黄色になり、最後に不透明な真っ白に変化していきます。その様がものすごくきれいだったんです。僕は火と溶けた金属にすごく惹かれて鋳造の世界に入り込んだみたいなものです。でも、それを忘れていた時期があって、それに感動して鋳金コースに入ったにもかかわらず、鋳金の工程を一生懸命学ぶことに終始してしまった。ですから学校を卒業してから、今まで学んだことをリセットして、何故金属を選んだのかをもう一度はじめから考え直すと、金属が火によって溶け出す様が、まさに宇宙や地球の始まりのように思えて・・・炎をはじめて見たときの感動を思い出したんです。

・・・金属を使われているのは、原初(宇宙のはじまり)の段階からの物質を考えられたからでしょうか。
金属をいじっていて楽しいというのがあったからで、そこまで深い思いはないですね。

・・・ところで素材は何を使われているのでしょうか?
アルミニウムの鋳造なんです。このカーブを出すために地面に穴を丸く掘り、溶けたアルミを流して、鉄の型で上から押さえ付けています。先ほどお話しましたように、学生時代はブロンズを扱っていまして、ブロンズからアルミに移ったといいますのも、ブロンズという素材に色気がありすぎたからなんです。ブロンズは金属自体に色がついているし、着色によって、結構鮮やかな色まで出せてしまう。でもその色気をなるたけ排除しないとそれに頼ってしまう恐れがある。それで量感的にきちっと形を見せられるアルミに変えました。

・・・形を拝見していると、半円形は地球の半分に見えるし、テクスチャーは流星のような質感にも見えますね。
丸くしようと思ったのはやはり地球のイメージがあります。穴を掘ってアルミを流すというのは、鋳造でいえばタブーに入る危険な行為、地面の水分を拾って爆発してしまうこともあるんですよ。それもこれも自分が学生の時にやってきた手法を、自分の中から一回排除したかったので、敢えて挑戦してみたんです。それと地球を雌型にして、地球を作るという行為が面白かったからなんですよ。「本当の地球はこの凹んでいる部分なんだ」そういうアップサイドダウンみたいなところが、非常にイメージの中で面白く感じられて、円形にしました。ある程度こういうテクスチャが出てくるというのも予想出来ましたし、なるたけシンプルな形にした方が、素材の動きが見やすくていいなということもありました。

・・・半円形を逆にして器として見せるということは考えなかったのですか。
地面との接点のことだけを考えていましたから、それはなかったです。
型を作るという作業は・・・例えばブロンズ彫刻の制作工程は、原型をまず作り、原型の上から雌型を成形し、雌型に金属を注ぎ込んで作品を作ります。そうすると原型と同じ形ができるわけです。でも凹んでいる雌型を作りたい為に原型を作るのか。原型を作りたいために雌型があるのか。その辺はちょっと分かり難いんです。僕の場合はこの形を作りたいと思ったときに、雌型しかいらなかったんです。凹んだ空間を見た時に、ふくらみが見えるかどうか。写真でいうとネガとポジが反転するのは理解しやすいですが、立体のネガとポジの反転というのはなかなか理解しにくくて、鋳物をやっている人間にとっては当たり前のことなんだけれども、それは一般では当たり前ではない。そういうことが手法として面白いなと、何も考えないで原型がありました。雌型を作りました。作品が出来ましたという工程を経るのではなくて、一回雌型を作ることを咀嚼して凹みが膨らみに見えるかどうかということが、僕にとっては重要だったんです。

・・・一回でも関わっていれば分かるかもしれませんが、確かに分かり辛いですね。今展示は台座に載っている作品と床置きの作品の二通りありますが、関連はあるのですか。
また、台座の上にのっている作品のタイトル名をお聞かせ下さい。
「依代(よりしろ)」です。「原初II」との関連性は特にありません。「依代(よりしろ)」というのは、神霊が招き寄せられて乗り移るもの(樹木・岩石・人形などの有体物で、これを神霊の代りとして祭る)のことをいいます。
「依代(よりしろ)」を作り出すきっかけになったのは、意識の始まりみたいなことなんです。民族としてまったく神を持たない人間がいないということは、神と意識の始まりは非常に密接に関係しているはずではないかと。各民族、各村、各個人が神という全く見えない存在を、それがあるかないかわからないけれども、どこかに降ろして崇める行為というものは、どこの民族もやってるんだということが、僕の思っている「はじまり」の物語とくっついてしまったんです。

・・・確かに宇宙や地球の始まりは、人間の始まりにも通じますね。
ただ、神とかそういうものを追っかけていくと、オカルティズムに入っていく可能性があるかもしれない、そこは避けたいんです。でも自然界とかそういう認知できないものに対する恐れとか、敬虔な気持ちを持ち続けないと、人間や他の生物とか社会にとても良くない感じがするんです。現代社会では、本質的な生命の尊厳や自然の偉大さを尊ぶものは少なく、そこを疎かにすることは、オカルティズムに走るぐらい怖いことじゃないかなと・・・。結局原理主義的に神を信じているのかといえばそうではなくて、この空間にもいる。町中にも森にも山にも川にもいる。そういうものをその場所に行って神だという風に思わなくても、感じようとする意識や畏怖の念。何もかもが人間の思うままにはいかないんだということを、きちんと把握しなければいけないなという気持ちがあるんですよ。

・・・これからの展開は如何でしょう。
これからも「はじまり」を追いかけていくことになると思います。そういう風に考えると、最初に宇宙のはじまりを意識して、段々自分に近づいているんです。意識というところまで行って、そこから先にそれを細分化していくのか、それとも新たな「はじまり」を見つけていくのか。それはちょっとまだわからないですけどね。

~8月5日(土)まで。