花の譜 馬場伸子

閑々居
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最近「日本画とは何か」という定義についての、議論が盛んですが、私は、日本画というのは、西洋の絵画と構造そのものが違うのですから、同じ土俵に乗せないでほしいと願っているんです。
例えば牡丹(ぼたん)であれば、部屋を言祝(ことほ)ぐ富貴のシンボルとして尊ばれ、藤であれば長命な、不老長寿の化身として尊ばれていたわけです。なぜ尊ばれたかと言えば、強い「気」を持っていたからです。
気というのは、「万物が生ずる根元であり、生命の原動力でもある」。そういう「気」を、昔の日本画はしっかり持っていました。そういう呪術(じゅじゅつ)的な意味あいのものを忘れてしまったら、日本画は日本画ではなくなってしまいます。ですが残念なことに、昨今は「気」が段々と霞(かす)み、装飾画としての日本画がもてはやされているように感じます。
ですから、「気」をもう一度思い起こしてほしいんです。
今回御紹介する馬場伸子さんは、現代において、「気」を描ける希有(けう)な作家だと思っています。どうぞ御高覧よろしくお願い申し上げます。

(閑々居 北條)

・・・タイトルは「花の譜」。

以前は人物も描いていましたし、少し抽象的なものも描いていたんです。けれども自分が描きたいものはそれではないと気づきました。
私は学生時代に、抽象画も具象画も同様に学びましたが、自分が何を描きたいのか、ハッキリとわからなかったんです。描くことは、それなりにいろいろ経験でき面白かったのですけど、ただ、そこが自分のいる場所ではないような気がして、もっと深く掘りさげなくてはと、模索していましたら花に出会いました。

・・・花に引かれた理由を教えてください。

季節の移ろいや生命力にすごく引かれました。ですから、切り花は描かないんです。必ず外に行って季節の風や香りを、受けながら写生しています。自分が花を描いていることで、逆に生かされているような感じがするんですね。花を描きながら、実は自分を見つめているような感覚を覚えます。

・・・花を人間のメタファーとして、描いているのかもしれませんね。ところで日本画を描こうと思われたきっかけは・・・。

私は、学芸大学を卒業したんですけれども、学芸大は美術全般を学ぶ学校ですので、いろいろな画材を学ぶのですけれども、日本画の授業を受けたときに、「やっと自分が話せる言葉が見つかった」ような高揚感を覚えたんです。周りの人達は、日本画は絵の具の扱いが難しいといいますけれども、私はすぐに溶け込みました。「これが私が話す言葉なんだ」とそう思ったら、気持ちが、すっと楽になっていくのが分かったんです。

・・・絵の具がすぐになじんだということですが、作品を拝見していますと、古画を勉強されたのではないかと思います。かなりたくさん見られたのではないですか。

そうですね。特に絹本の古い作品は、絹目や裏側の処理などを気をつけて、みるようにしています。私は、宋元画が好きなんです。その強くて繊細で静かな世界観は、本質をとらえているように思うのです。

・・・本質というのは、どういうものだと思われますか。

命みたいなものです。いろいろな方が、いろいろな作品を見て、いろいろな感想を持つと思うのですけれど、やはり心にしみるようなもの・・・何が描かれていても、心に訴えかけてくるもの。私も、写生を基本としながら、本質にたどり着きたいと思っています。

・・・それは「永続する魂を形にする」ことで、見えてくるものではないかと思います。この言葉はある作家の方が言われた言葉なんですけれど、その言葉を聞いたときに、今まで忘れていた大事なものを思い出したような気がしました。「永続する魂を形にする」というのは、「死ぬべき運命を背負った人間の宿命」からしか、生まれでないものではないかと思うんです。

まだ100パーセントの満足は得られないのですが、そこを突き詰めていきたいと思っています。私のやり方は、誰に教わったものでもなく、独自のやり方なので自分が基準なんです。自分でやりたいように描いていたら、こうなったという感じですね。
それにきれいに描きたいと思って描いてるのではないですから、技術的に、もっとうまくなりたいとは思いますが、そこを目指しているわけではなく、下手であっても「何かが、つかめればいい」と思っています。春先は風が強いので、写生をしていますと、花びらが枝ごと揺れてしまって、ほとんど静止している時間はないくらいです。そういう中で少しずつ描けるようになってきました。ただ何年写生しても、絵になるまでには相当な時間がかかります。この屏風(びょうぶ)に描いた藤の花も、はじめは一房描くのがやっとでしたが、次の年にはもう少し描けるようになり、それの繰り返しでした。でも描けなくてもとにかくじっと見る。どういうふうに咲いているのか、ずっと見つづけるのです。

・・・見つづけていますと、様々なものが表出してきませんか。

藤の花(ふじのはな)を写生しているときに、蜂が飛んできたんです。はじめは危ないなと思ったんですが、そこにリアリティーを感じて、蜂を描きました。写生をしていますと、いろいろなヒントに巡り会えますし、「時」にも出会えます。同じ場所に毎日通っても、花はすぐに時期が過ぎてしまいますので、表情が毎日変わります。その時々で、自分自身の体調や環境も変わりますけれども、「時や場との一期一会 」を楽しみながら描いています。とにかくいい絵を描きたいと思いますね。いい絵を見ると鳥肌がたつじゃないですか。そういう作品を描けたらいいなと、いつも思っています。

~26日(水)まで。