テラダケイゴ展
1983 東京都生まれ
2003 京都嵯峨芸術大学中退
2002 企画展(近藤画廊。BT美術手帳11月号作品掲載。)
2004 5th-SICF参加(青山、スパイラルガーデン)
油彩、蛍光灯、LEDなどを用いて「電灯によって存在する深夜風景」といったシンプルなテーマを軸として作品を作り続けている。
平面をまるで3次元のように観せ、より平面画に臨場感を与えるために夜を徘徊しながら野宿を繰り返し、そこで味わう哀愁や高揚感を脳に記憶。
さらに夢や幻覚によって心情風景にされたものを作品へ還元している。
・・・何故画面を光らせるようと思われたのですか。
自分が求めているのは、絵画というよりも立体作品を作りたいという気持ちが強いんです。僕はテレビゲーム世代なので、2次元を3次元に変換したくてしょうがないというか。それで蛍光灯の光を用いることによって、疑似的な3次元の世界を作り出しているんです。素材もなるべく現実のものと同じものを使っているんですよ。
・・・一般的な絵画というのは平面上に空間を作り出すものだけれども、テラダさんの作品は実際に日常にあるものを添付することによって、空間を構築しているということですね。
はじめはそこに逃げ込みたいという気持ちがありました。夜中に出歩くのが好きで、人がいない所がすごく好きなんです。僕の作り出す風景は深夜の風景じゃないですか。光がなければ深夜の風景は存在しないわけで、蛍光灯というのは、自分にとってとても大事な存在なんです。
・・・確かに蛍光灯というのは普通の一般家庭にあるものだから、そういう意味では青白い灯りに家族の匂いを感じるのかもしれませんね。ある種、実際の光景を見るような錯覚を起こさせるジオラマみたいなものですね。
絵はすごく好きですが、僕の作品は絵画ではないのかもしれません。銀座の画廊を回って他の人の作品を見ていても、取っ掛かりがなくてどこを見ていいのかわからなくなるんです。ですから素人の目線かもしれないけれど、僕が鑑賞者だとしたら、どうやったら画面の中に入り込むことができるかを考えたんです。それで明晰夢を自分の中に取り入れようと思いました。
・・・明晰夢ですか?それは夢の一種なんですか?
夢と明晰夢は何かが違うんです。夢というのは無意識で見ている状態なんですけど、明晰夢というのは、無意識の中に今ある意識を持ち込んで、夢を見ている状態をわかる夢なんです。それを画面にクロッキーするんです。明晰夢は完璧に今の意識で夢を見ているわけだから、細かいディティールや、もっと言えば痛みさえもわかるんですよ。
・・・タイトルに「明晰夢に存在するみなとみらい~shining rectangular solid~」とついていますが、どういう意味なんでしょうか。
「みなとみらい」で野宿をしていたからです。野宿をすることでその場の感覚がわかるし、寝ている状態で風景を見たいんです。寝起きの状態で風景がきれいだなと思いたいというか。それが楽しくて野宿をしています。経験から絵は生れるじゃないですか。つまらない経験も楽しい経験も、苦痛だと思うような経験も沢山すると、それがまた夢に出てくるんです。それを形にすると、その現実的な形がまだ夢に入ってくる。それがすごく不思議です。
・・・絵を描こうと思われた動機というのは、やはり夢を描くこと何ですか。
自分が感動する瞬間というのは、夢にどんどん近づいているので、夢を見ているときは、ゼロ歳の赤ん坊になった気持ちを味わえるんです。現実の風景は飽きてしまった感覚があるんだけれど、夢というのは意識と無意識が構成されて一つの町を作っているから、空気観も違うし、だから子供が生まれてはじめて見たであろう風景を、味わえるんじゃないかと思うのです。
・・・ある意味、世界の見方を何度もリセットして再構築するということでしょうね。でも最初に絵画ではないと言っていらしたけれど、逆に絵画に対する憧れがあるような気がするんですけれど・・・。
そうかもしれません。絵画として見て欲しい気持ちはあります。ただ素材は違う素材を使っているだけですから、でも絵画となると、なかなか入り込むことができない。ですから入り込むための装置としてジオラマ的な要素を、今の時点では取り入れているのかもしれませんね。これからの展開もいろいろ考えていて、アニメーションにも挑戦してみたいと思っています。
・・・夢の永劫回帰は、最後はどこに行くのでしょうか。
終わらないんじゃないかと思います(笑)。
~26日(日)まで。