菅沼稔展

1951 静岡県沼津市生まれ
1974 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業
1976 東京藝術大学大学院美術研究科版画専攻修了
2001 文化庁派遣芸術家在外研修員として欧州滞在(主にスペイン)~02

【個展】
1990 ぎゃらり-センタ-ポイント(東京、92、93,94、)/1992 横浜ガレリアベリ-ニの丘ギャラリ-(後援野村国際文化財団)・彩林画廊(横浜、後援Heineken Beer)/1995 ア-トフォ-ラム谷中(東京)/1996 ギャラリ-なつか(東京, 98, 2000)・ギャラリー光彩(東京)・裾野アートハウス(静岡, 99, 03)/1997 なびす画廊(東京)/1998 ギャルリーヴェルジェ(神奈川)/2001 ギャラリーほさか(静岡)/2003 ギャルリーSOL(東京)/2004 沼津市庄司美術館(静岡)/2005  ギャラリーJ2(東京)
2006 ギャルリーSOL(東京)

【グループ展】
1975 第11回現代日本美術展(東京)/1977 第12回リュブリアナ国際版画ビエンナ-レ展(ユ-ゴスラビア)/1980 第8回クラコウ国際版画ビエンナ-レ展、作品収蔵(ポ-ランド)・ World print・?V展(アメリカ)/1982 第17回神奈川県美術展、美術奨学会賞(神奈川県民ホール)・ 第9回グレンヒェン国際色彩版画トリエンナ-レ展、買い上げ賞/1986 ブタペスト国際今日の芸術展(ハンガリ-)/1987 第2回和歌山国際版画ビエンナ-レ展(和歌山、及び韓国巡回)/1990 ビエラ国際版画展(イタリア)・ 第1回TAMON賞展(千葉)/1994 第30回記念神奈川県美術展、美術奨学会賞(神奈川)/1995 コンテンポラリ-ア-トフェスティバル(埼玉県立近代美術館,~2000、03)

1996 現代美術・韓日交流展(ソウル、国立図書館展示室)・ 第2回CAPPING国際交流展(横浜ガレリアベリ-ニの丘ギャラリ-)/1997 第3回CAPPING展(釜山・文化会館、ウルサン・NBCギャラリー)/1998 第4回CAPPING展(目黒区立美術館)・ 第48回モダンアート展、新人賞及び俊英作家賞・ 第34回神奈川県美術展、特選(神奈川県民ホール)/1999 第5回CAPPING展(東西大学美術館その他、釜山、韓国)・第6回風の芸術展、ビエンナーレ枕崎(鹿児島)・第35回神奈川県美術展、美術奨学会賞(神奈川県民ホール)/2000 第29回現代日本美術展、横浜美術館賞(東京都美術館、京都市美術館)・ アジアン・アート・ナウ2000(ラスヴェガスミュージアム、アメリカ)・ジャパン・コンテンポラリー・アート・イン・アムステルダム(オランダ)/2001 コンテンポラリー・アート・トライアル(グリーンホール相模大野多目的ホール、~04)/2004 開館15周年記念「イメージをめぐる冒険」展(横浜美術館)・第2回利根山光人記念大賞展ビエンナーレきたかみ、奨励賞(岩手)・ 国際交流美術展「眼差しの東洋・手の記憶」沖縄からの発信(浦添美術館他)/2005 日韓友情40周年記念・日韓現代美術展(ソウルSPギャラリー、ギャラリー睦、大谷資料館他)

現在 日本美術家連盟会員、モダンアート協会会員、美術科教育学会会員

【作品収蔵】  
クラコフ国立美術館、サンフランシスコ近代美術館、ブリティッシュミュージアム、パリ国立図書館、東京藝術大学美術館、国立近代美術館、町田国際版画美術館、沼津市立病院(以上版画)/相模原市、足立区勤労福祉会館、沼津市立高校、横浜美術館、沼津市庄司美術館(以上油彩画)

【コメント】
この数年私が発表している平面作品「Penetration」シリーズでは、油彩画におけるスティニング技法を取り入れて制作しています。物質としての絵具が有機的な皮膜として透過作用を開始する様態を認識しつつ、色彩の積層によって得られる「絵画のひかり」という問題も検証しています。だが確かな形態を呼び込むつもりはありません。むしろ形態の出現が相殺される時を待ちつつ、行為の痕跡としての色彩を画布に定着させることで、絵画の新たな魅力が生み出せればうれしく思っています

・・・タイトルの「Penetration」とは?

光が膜を通って、透過するとか通過するという意味でつけました。このシリーズの前の「Paraphrase」(転換とか変換とかフレーズを変える)のシリーズでは、今の美術界の現状を変えたいという気負った意味合いがあったのですけど、今回の「Penetration」のシリーズでは、ベルリン郊外のザクセンハウゼン強制収容所(1936年に設立された現在のドイツ国内では最大の強制収容所跡)を訪れた時の強烈な記憶を紡いでいます。

3年前に文化庁派遣芸術家在外研修員として1年間スペインを中心としてヨーロッパに滞在しまして、その後4ヶ月くらい、ドイツのカッセルのドクメンタ(世界最大級の現代アート展)を見たりしながらヨーロッパを放浪していました。その時に見た収容所は、ドクメンタを凌駕するぐらいすごいもので「絵を描く根拠とか、ものを作る根拠とはいったい何なんだろう」と、それまでにも思わなかったわけではありませんが、すごく意識させられました。それで日本に戻ってきてから、もう少し原理的なものというか、即物的に、事物そのものの本質や根源を見きわめイメージを立ち上げるには・・・そういうものをもう少し自分なりに、考えてみたいなと思い。それで「Penetration」という言葉をタイトルにつけたんです。

・・・菅沼さんのHP(http://members2.jcom.home.ne.jp/minosuga/)で1996-2001年までの「Paraphrase」のシリーズを拝見して、鮮烈な無数の線が増殖していくイメージを強く感じましたが、「Penetration」のシリーズになると、皮膜のような・・・。

「Paraphrase」のシリーズを描いてる時も「絵画があって描く人間がいる。その絵画を一つの膜として行き来できるもの」として考えていました。「Penetration」のシリーズを描いたきっかけは、スペインで描いていた作品を、日本に持ち帰ることを考えて、木枠からキャンバスを外して描こうと思ったことからなんです。木枠を外せば、壁に貼るとか床に寝かせて描くとか描く場所が限定されますよね。それに厚く描くと丸められないから薄塗りで描かねばならない。それで絵具をあくまでも薄く透明に染みこませるように描くスティニング技法で描いてみると、絵具の粒子がふわっと立ち上がってきたんです。それがはじめです。その時に物質というのをある意味、意識させられたというか。実際に描いてみて自分の目で確かめたのはその頃からなんです。

・・・現代美術は世界を映す鏡と言われていますが、作品を拝見していて、今の世の中の現状を反映されているのか、脈打つような赤い色のイメージは傷口や血を喚起させ、限りなく湧き上がる不安感が充溢した画面は、止めどなく血を流し続ける人の心のようにも見えてとても切ない気持ちになりました。

ザクセンハウゼン強制収容所を訪れた時に、「人が人として何処まで無惨なことをすることが出来るのか。人間というのはお互いを傷つけざるを得ないものなのか」と深く心に突き刺さりました。そして今もそういう傷みたいなものを自分なりに引きずっているのかもしれません。ですからこのような表現の仕方になってしまうのかもしれませんね。だからといって傷がテーマとしてあるのかというと、それほど意識してはいないんですけれど、でもそれがないと「何故絵を描くのか」という自分の根拠が揺らぐような気がするのです。表現というのは傷がトラウマとなって残っていたりする部分があるからこそ表現せざるを得ないのではないのかと。私は思いますけれども。

・・・トラウマが昇華して表現が生まれる。

「一人の人間はさまざまなDNAが組み込まれてあるんだ」。そういうものを感じますし、それが表現されたものとして出てくれば、同時に自分というものを通じて、社会というフィルターから吐き出でてくると言いましょうか。自分というものは一つの膜のようなものかなという感じもするんです。

・・・今、世界の人口は、約64億9338万人いるそうです。その中に美術家は何人いるかわかりませんが、手段が違うだけで、それぞれ皆表現者であることに違いはない。皆が表現者たり得る事を意識すれば、現代に蔓延する負のエネルギーをプラスに変換できることに繋がるのではないかと思うのですけどね。
最後にこれからのご予定をお聞かせ下さい。

春に相模原で個展があります。これからの展開としてはどうなるか全くわかりません。一時期「絵画は死んだとか終わった」と繰り返し言われて来ましたが、私は全然そう思ってはおりません。模索をしながら新しい絵画は生まれてくるだろうし続いていく。これからも健全に生きていくんだろうと思いますね。おこがましいですが、私も表現し続けていきたいと思っています。

~28日(土)まで。