日野之彦新作展
galleria grafica
東京都中央区銀座6-13-4 銀座S2ビル TEL 03-5550-1335
11:00-19:00 祭日休 http://gallery.to/grafica
1976 石川県生まれ
1999 筑波大学芸術専門学群美術専攻洋画コース卒業
2001 筑波大学大学院芸術研究科美術専攻洋画分野修了
【個展】
2001 「レスポワール展」 銀座スルガ台画廊 東京/2003 ガレリア・グラフィカbis 東京/2004 東京都庁(トーキョーワンダーウォール賞受賞による展示)・ガレリア・グラフィカbis 東京/2006 ガレリア・グラフィカ 東京/2006 ガレリア・グラフィカ 東京
【グループ展】
2004 第1回「REUNITED展」 佐藤美術館 東京・第6回前田寛治大賞展 倉吉博物館鳥取/2005 第24回損保ジャパン美術財団選抜奨励賞(推薦作家) 損保ジャパン東郷青児美術館東京・第2回「REUNITED展」 佐藤美術館 東京・第1回ポチョン・アジアン・アート・フェスティバル ポチョン・アートホール 韓国/2006 第21回現代美術「こうふ展」甲府市総合市民会館
【受賞】
1999 第6回「風の芸術展」ビエンナーレまくらざき 佳作賞 枕崎市文化資料センター南溟館・第53回二紀展 奨励賞 東京都美術館/2000 第9回青木繁記念大賞公募展 大賞 石橋財団石橋美術館/郡山市立美術館/2002 第20回伊豆美術祭絵画公募展 大賞 伊東市観光会館・第6回春季二紀展 奨励賞 東京都美術館/2003 トーキョーワンダーウォール公募2003 トーキョーワンダーウォール賞 東京都現代美術館・第57回二紀展 奨励賞 東京都美術館/2005 VOCA展2005 VOCA賞 上野の森美術館
【収蔵】
筑波大学芸術学系、石橋財団石橋美術館、伊東市観光会館、第一生命、文化庁
・・・日野さんの作品は、青木繁記念大賞を受賞された後の2001年から拝見していますが、2001年のインタビューの時に「 不安定なことを表しています。現代社会に対して自分の感じる雰囲気です」と話されていたのが印象に残っています。当時描かれていたのは、疾走するロケットの上に、浮揚しながら乗っている人物であったり、ブルーの網目状の檻のなか?にいる裸の人物。どの作品も現代に生きる人間や社会の姿を表現されているんだなと思いました。ただそれ以後の作品は人物オンリー。「現代作家の条件は、一目で誰の作品かわかるアイデンティティを持っていることが必要」とするならば、日野さんの作品は一回拝見すると強烈なインパクトが残ります。ただ以前とは一見するとだいぶ印象が違う感じをうけました。モチーフが変わる何かきっかけがあったのでしょうか。
人物の作品は、2001年の作品と比べると随分変わったと思います。2001年の個展の直後から行き詰まってしまって、理由はいろいろあったのですが、技術的な部分もそうですし、段々とパターン化されて繰り返しになってきて、新しい作品が描けなくなって来たのです。
それである日、その頃いっしょに住んでいた友達にポーズをとってもらって描いてみたら、ガラッと変わってきて。実物を見るというのは、今まで制作していた頭で作っていた作品と違って、リアリティーが生まれたような気がしています。ただ始めからインパクトを狙って描いたわけでもないし、むしろ自然な流れで描いています。
・・・絵画というのはある意味、現代の状況を映し出す鏡として機能するもの。漠然とした不安の元にある現代社会を以前は不安を象徴するモチーフと共に描かれ、それ以後は人物の姿を借りて描かれているように思います。テーマ的には2001年もそうですが、今回も確かなものなど何もない拠るべのない人間の揺らぎみたいなものや、人間の希薄さみたいなものを、描かれているように思うんですが。
不安とか揺らぎですか。大体そんな感じなんですが、不安を描こうとか揺らぎを描こうと思って描いているわけではないし、描くイメージも言葉ではないので、それを言葉に近づけようとするとそんな感じになるんじゃないかと思います。人物画においては、描かれた人物のポーズが必ず何かしらの意味を語りますよね。僕は人物のポーズによって生じる物語性をできるだけ排除したくて、何も語らないポーズを探しているみたいです。
・・・ただ見る側は作品と対峙すると、どうしてもそこに意味性みたいなものを見ようと思ってしまうのかもしれませんね。例えば目を見開いて驚いて何かを凝視しているような顔をしていると、しきりに裏に隠された意味を探ってしまう。目の焦点を合わせていないのは、何も見ていないということかもしれないけれど。
何も見ていないような感じにしたかったんです。ただ一つの理由があってこういう事を表現する為にじゃなく、何年も描いてきてそうなってきたのであって、多分色々な理由があるし、自分の体質みたいなものもあると思うし、それが重なって出てきた結果だと思います。
・・・体質ですか?
自分がもっている生理的なものというか。フェティシズムみたいなものが大きく関わっているように思いますね。舌を出しているのも口が何かを表現しているとかいうのではなく、生理的で感覚的なものなんです。
・・・先ほど友達にポーズをとってもらって描いたと言われましたが、今は、モデルはいるのでしょうか。こういうポーズをとってもらうのですか。
頭のなかでどんなポーズを描こうかなとデッサンをしながら考えて、それに近いポーズをしてもらって写真を撮って、それを見ながら描きます。ただ顔も身体も変えてしまうので、写真は参考にする程度です。頭のなかにイメージがあるから、実際に光や筋肉の動きなどを見る為というか・・・。顔は自分に似ているかもしれません。
・・・完全にヌードではないというのは、日常との接点を描こうと思っているから?確かVOCA展のコメントに「ブリーフはひ弱な現代人の象徴だったり、おとながもっている幼児性の象徴だったりします」と書かれていましたね。
白いブリーフの情けない感じみたいなのがいいんですよ。
・・・1Fの展示を低めにされたのは何か意図があってのことなのですか。
昔からそうなんですが、絵画として見せるのではなくて、そこに人がいるみたいな、実在する感じにしたいんです。
・・・なるほど。「人間が実在しているように感じてくると絵画が本来もっている崇高な輝きみたいなものが出てくる」と、VOCA展のコメントで書いてらしたのを読みました。これからの展開はどのように考えていますか。
こんな感じでいくと思います。今回はVOCA展の後ということもあったから、女性を描こうという気持ちがあり、少し構えてしまった部分もありますけれど、描きたいと思いついたものを描いていければいいかなと思っています。2001年の頃に戻るのではなくて、普通に今までの感じで、人物を二人に描いてみたらどうなるだろうとか、違う生き物を描いてみたらどうなるだろうとか、そんな感じで進んでいくと思います。
・・・人物にこだわっているわけではないのですか。
それはそうなんですけど。自分で描いてみたらどうなるかですよね。女性を描いてみたのも、僕が女性を描いたらどうなるだろうかと思ったら、こんな感じになったので面白いなと。ただ描いてみてあまり違和感がなかったので驚きました。
~2月4日(土)まで。