Life展 #1 青山ひろゆき、下地貴之、吉岡滋人氏 3人展
GALERIE SOL
東京都中央区銀座6-10-10 第2蒲田ビルB1 TEL 03-5537-6960
11:00-19:00 日曜休 http://www005.upp.so-net.ne.jp/SOL/
青山ひろゆき、下地貴之、吉岡滋人氏の三名による展示です。
「Life」を辞書で調べると、生命、生命現象、命、寿命、耐用期間、存続、人生、実生活、人事、世間、世の中・・・。一つの単語でも、様々な意味合いをもつ言葉です。
今回、GALERIE SOLで展示される三名の方にとってのLifeとは?
是非ご高覧ください。
青山ひろゆき
1977 福島県生まれ
1999 東北芸術工科大学 芸術学部 美術科 洋画コース卒業
2001 東北芸術工科大学大学院 芸術工学研究科 芸術文化専攻 修了
【個展】
2000 あかね画廊(東京・銀座)/2002 あかね画廊(東京・銀座)/2003 東京サテライト(東京・目本橋)/2004 フタバ画廊(東京・銀座)/2005 あかね画廊(東京・銀座)/2006 ごらくギャラリー(東京・銀座)予定・青山ひろゆき展(愛知・はるひ美術館)予定
【グループ展】
1997 The 18th Mini Print InternationalCADAQUES(スペイン)/1999 東北芸術工科大学卒業制作展(優秀賞)・第1回デッサン・ドローイングコンクール展(大賞)・UROBOROSU(東京・アクシズギヤラリー)・感動創造美術展(新潟・新潟市美術館)/2000 Asian dream art Contest(インターネット人気賞)・100日絵日記展(仙台・ギャラリーARATA)・版画の彩展2000全国大学版画展(町田市立国際版画美術館収蔵賞)/2001 テトラード(仙台・一力画廊)/2002 第11回青木繁記念大賞展(優秀賞)/2004 音楽からの贈り物展(東京・ギャラリー汲美)・夢のある版画展(福島・ギャラリーみゅーず)・ピックアップアーティスト展(東京・ギャラリーeシエスタ)/2005 第4回夢広場はるひビエンナーレ(奨励賞)・生まれるイメージ(山形美術館)・第1回post!戦後アンデパンダン展(東京・appe)/2006 Life展(東京・GALERIE SOL)
【収蔵先】
はるひ美術館/町田市国際版画美術館/山形市
【コメント】
私は、絵をみてちょっとほっとする、ちょっと微笑んでしまうような作品にしたいと思っている。人によって微笑みを得る感覚はちがうかもしれない、しかし心からの笑顔をみることによって人はみな幸福感を得るのではないだろうか。私は、乳幼児の自然にあふれ出てくる魅力にひかれ、今まではモチーフとして乳幼児を用いてきた。乳幼児の表情・しぐさには、未来を感じる。小さい体にとてつもなく大きな可能性・パワーを秘めている。子どものパワーは無限大である。子どもの笑顔には救われるような和みもあり、また自分ではなくしてしまったような前向きさもある。なぜ私はこんなに子どもに魅力を感じたのだろうか。それは、乳幼児期が人間としてとても「純粋」な時だからだと思う。見るもの、聞くものすべてが新しく、心を揺らしその感情を思い切り表現する。その感情が明日へ未来へとつながっていく。
大人になった今、純粋に心に何かを響かせ感情をだすことがありますか?
思い切り自分の感情に向き合う時間がありますか?
乳幼児だけでなく、現在は人間の純粋な行動・表情を作品の中で展開しようと考えている。人間の行動の中で、年齢性別に関係なく「純粋」になりえるもののひとつに『愛』がある。愛には、恋愛、愛情がある。恋愛は、心ときめき、時に喜び、時に悲しみ、自身でどうすることもできなく何もかもを見失ってしまうほど人間の純粋な感情に支配される。愛情にはさまざまある。子どもに対する愛情、家族に対する愛情、友人に対する愛情、高齢者に対するいたわりとも言える愛情。動物や物への愛情、どれも意図して発生するものではなく自然に生まれてくる感情である。そんな人間の純粋な様は、多くの人の心に波をおこすのではないだろうか。私の作品をみてふと思い出す時間をつくってもらえたらいい。その人の中での純粋で様々な感情を…。微笑ましく過去を振り返る時間、現在の自分を振り返る時間を味わってもらいたい。何かに戸惑うそんな時、リフレッシュを兼ねた遊びの感覚でみてほしい。そして自分の中にある素直で純粋な感情を思い出し、味わい、表現してほしい。
今回の作品においては自然な人間の魅力・純愛など人間の純粋な様を色と物とで置き換え、私自身の大切なものとしてそれらの印象を描いた。自分の作品から鑑賞者のすてきな表情をひきだしていきたい。心の笑顔を引き出したい。人は心の笑顔を隠してしまうことが多い、もっと感情を表情にだしてほしい。すてきなすてきなオリジナルな思い出を…。その鑑賞者の表情から様々な印象をうけ、その感情・表情が次の作品へつながっていく。
・・・今回の3人展のテーマは、「Life」ですが、ご自分の中で「Life」をどのように捉えて描かれたのでしょうか。
この作品のモチーフは、お菓子の水あめと金平糖なんですけれど、食べ物は人間にとって必要不可欠であり普遍的なものであると思っています。Lifeという言葉から、人間をそのまま描くのではなく、人の生活の中で当たり前でありながらとても重要な「食」をイメージしながら描いています。ただ今回は具体的なものを描くというよりは、そのモノの持っている印象を私なりの解釈で色に置き換え表現してみました。
・・・アルバムを拝見すると、かなりポップな感じをうけます。具体的にお菓子とわかるものを描かれていたんですね。
おいしいものを見るのは楽しいですよね。以前は、マーブルチョコを描いていたものもありますし、子どもとレゴブロックを描いたものもあります。ただ最近は、具体的な形の・・・例えばブロックを描くと、ブロックにまつわる概念的イメージが先行してしまうので、その概念の示すインデックス性やその物の持っているイメージから離れて、むしろ絵画として見てもらいたい気持ちがあり。四角い絵画の色彩や絵具のストロークを楽しんでもらえればなと・・・。ある意味、物の持つ意味性や形をぼかしてみようかと思っているんです。
・・・形をぼかす。
僕が最近試みているのは、物の形や空間や画面における色彩の色相・明度・彩度の相関関係に囚われすぎないということなんです。自分が描きたいものを描きたいように描こうと。
・・・そうすると余白を作ったのも。
四角い画面にすべてを描くのではなく、描きたい部分を描くために、自分に正直になった結果余白が出てきました。僕の作品が現代的だとよく言われるんですが、例えば長谷川等伯の「松林図屏風」や古来からの日本の絵画は余白をとても意識している。その余白には宇宙的無限性というか、あらゆる存在物を包容する無限の空間と時間の広がりがあり、それは日本人が古来より受け継がれてきたものだと思います。今回「Star」というタイトルの作品を、ローポジションに展示したのも、障壁画を念頭に置いているからなんです。私は西洋の影響をうけて油絵を描くのではなく、日本人としての油絵を描きたいと思っています。
(c)AOYAMA HIROYUKI
下地貴之
1974東京に生まれる
1999 東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻卒業
現在 千葉県私立市原中央高校美術科 非常勤講師・プカラス絵画教室講師・サクラアートサロン(新宿)講師
【展覧会歴】
1996 emit3展 (池袋・東京芸術劇場展示ギャラリー)/1998 三人展 (東京芸術大学・学生会館)/1999 青嶺会に参加 (川口そごう・柏そごう)/2000 青嶺会に参加 (川口そごう・柏そごう)・個展 (九段下・ギャラリー空木)/2002 個展 (高輪・啓祐堂ギャラリー)・中径展 (府中市美術館)・中径展十#1 (京橋・アートスペース羅針盤)/2003 三人展 (川崎・ギャラリーさわ田)・中径展十#2 (立川・たましんギャラリー)・中径展2 (府中市美術館)・個展(高輪・啓祐堂ギャラリー)/2004 個展 (銀座・GALERIE SOL)・中径展3 (府中市美術館)・中径展十#3 (伊勢丹府中店)・中径展十#4 (銀座・ノリギャラリー)・個展 (高輪・啓祐堂ギャラリー)/2005 第2回日本アートアカデミー大賞 入選・プロローグ展(銀座・ギャラリーアートポイント)・個展(高輪・啓祐堂ギャラリー)
【今後の展覧会予定】
2006年1月 Life展#1(銀座・GALERIE SOL)・8月 プロローグ展 (銀座・ギャラリーアートポイント)
【コメント】
デザインというものと対立する形で、ファインアートというものが、もしこの国に存在するんだとしても、やはり私は完全な形でのファインアーティストたりえない…。
私にとって制作とは、とことん作意的(作為的)でなければならないものだし、計算し尽くされた技術と知識と経験とを以って、いたって個人的で上質な駄作を生み出し続けられるか‥といったものだからである。
物事の本質なんて、もし知っていたとしても作品を通して伝えたいなんて思わないし、今の私にとって、止むに止まれぬ表現への衝動や、手のひらにズシリとくる実感を伴ったリアリティなんて(悲しいかな)何ひとつない…。
ただ流れる毎日の時間の中で、処理し切れない圧倒的な数の様々な情報と、垂れ流されるあらゆるフィクションの渦の中で、受信のみしか許されていない携帯電話のように、それらに対し、応答してみたり、やり過ごしてみたりできているだけだ…。
そんな直感的で反射的なやりとりに、一体意味なんかあるのか、ないのか‥そんな事、知ったこっちやね~よ!!という前提の下で、いかにおもしろおかしくフィクションからフィクションを作り続けられるか‥という事。
現代を生きている私達に、もしリアリズム”と呼べるものが残されているとするならば‥それは、あらゆるフィクションから別のフィクションを導き出す際に伴う“虚無感や絶望感”を、ひたすら噛み締め続けることなのではないだろうか…。
表現者が時代の子である以上、時代と刺し交える覚悟を持だなければ、存在する意味がない。たとえそれが徒労に終わり、成果を何ひとつ残せなかったとしても…。
“知らんぷり!”を決め込んで、大笑いしながら、そんな事を考えている…。
・・・今回の3人展のテーマは、「Life」ですが。なぜ、戯けた顔を描こうと思われたのでしょうか。
あまりタイトルについては考えてはいませんでした。いつも通りの僕の絵を描いたつもりです。
僕には西洋美術への憧れがあって、特にルネサンス以前が好きなんです。平面が最も平面らしかった時代、マチエールがゴテゴテしていないで、さらっとしているんだけれども、そこに精神性が込められている。作品の絵肌はフランドルの初期ネーデルラント絵画あたりから頂いているんです。
でも、なぜこんな変な顔を描くかというと、はじめは笑いをとろうと思って描いていたのですが、段々描いているうちに笑っていられなくなってきたというか。本当は笑っていたいし、幸せにはなりたいんですけれども、ストレートにそちら側に行けない矛盾みたいなものがあって、そういう抱え込んだものが画面に出てくれば、それはそれで面白いのかなという開き直りもあるんです。
・・・油彩は胸像を、デッサンは全体像を描いているのは?
油絵にしてもデッサンにしても共通項としては肖像画という形なんです。肖像画というのは古今東西において「何かを残した偉大な人物」だったりするんですけど、僕の場合は全く個人的な・・・ただ個人的なだけではなく変な顔を描いているので、二重の意味でも三重の意味でも、無意味な方向にいっているんですよね。今回展示したデッサンは、いわゆる天使なんですが、それを僕の顔に置き換えて全く無意味なものにしています。
・・・無意味な方向ですか。
僕の考え方として、絵画というメディア自体に対する不信感があるというか・・・。
世の中はデジタル化され、インターネットやCGや映像もどんどん進化している。「こんな時代に、こんなアナログな絵画というものがどういう位置で生き残るのだろうか。何か意味を持たせて生き残るというよりも、無意味なことを自覚しながら進んでいかないといけないのではないか」。そういう意味があって、西洋絵画に憧れながらも「無意味なものを自分から発信している」ということなんです。色んな矛盾を抱えて描いているんですよ。もうとっくに絵画の時代は終わっている。そういう絶望感を笑いに変えたい。そういう気持ちがありますね。
・・・油絵にこだわる理由をお聞かせください。
油絵具の最大の魅力は透明感だと思っているので、油で溶いてある分、透明度はナンバーワンなので、それを生かさない手はないと思っているんです。やはり絵肌に対してのコンプレックスというか、憧れというか、それにこだわっているのかもしれませんね。
(c)SHIMOJI TAKAYUKI
吉岡滋人
1971 北海道芦別市生まれ
1997 武蔵野美術大学大学院造形研究科彫刻コース修了
同大学教務補助員就任(~1998.3任期満了につき退任)
1998 同大学助手就任(~2003.3任期満了につき退任)
2003 同大学特別講師
シテ国際芸術都市にて活動(2003.9~2004.9)
2005 慶廉義塾幼稚舎(附属小学校)造形科助手就任
現在に至る
【賞歴】
1997 ART BOX大賞入選/2000 KIRIN ART AWARD 奨励賞/2001 Art Scholarship 2001椹木野衣部門入選/2002 International phallus carving contest海外招待作家部門最優秀賞(開催地:韓国)/2003 武蔵野美術大学パリ賞
【展覧会歴】
1997武蔵野美術大学大学院修了制作優秀作品展(武蔵野美術大学美術資料図書館/東京)・ART BOX大賞展(麻布美術工芸館/東京)/1998 個展(ガレリアラセン/東京)/1999 ACTl999展(武蔵野美術大学美術資料図書館/東京)・個展(原宿ギャラリー/東京)/2000 武蔵野美術大学助手展(武蔵野美術大学美術資料図書館/東京)・個展(ギャラリーデン/大阪)・個展(ガレリアラセン/東京)・KIRIN ART AWARD 2000受賞作品展(キリンビール新川本社・キリンプラザ大阪・キリンビール名古屋工場)/2001 武蔵野美術大学助手展(武蔵野美術大学美術資料図書館/東京)・ガレリアラセン企画小品展(ガレリアラセン/東京)/2002 武蔵野美術大学助手展(武蔵野美術大学美術資料図書館/東京)・Art Scholarsihip 2001 椹木野衣部門入選作品展(exhibit Live/東京)・ 個展(GALERIE SOL/東京)・ International phallus carving contest (CARVING EXPO/サムチョク・韓国)・TRACE V展(GALERIE SOL/東京)/2003 武蔵野美術大学助手展(武蔵野美術大学美術資料図書館/東京)/2005 個展(ギャラリーデン/大阪)他、グループ展多数
【コメント】
例えば隠しているモノが見えてしまっている人、大きな力を持った機械、無茶な形をした機械、そんなモノが僕はとても気になります。なぜそうなってしまったのか、そんなモノがあるのか、あれこれと考えてしまいます。
そういう、僕の妄想を刺激するモノや人が作品のモチーフです。
制作についてこだわっているのは自分の手で作り上げる事。それ位です。
・・・作品のタイトルは「怯える男」。アルバムを拝見すると、平面と彫刻を両方作っていらっしゃるんですが、彫刻はかなり素材を重視して制作されているように思います。
素材にこだわっているわけではなくて、私が作りたいものに合う素材を取り入れて制作しているんです。
・・・作品の素材は石膏ですか。
いえ。FRPに着色しています。原型は粘土で作っているんです。FRPは今1番僕が使いやすい素材。以前は、マチエールやテクスチャを気にしないで制作していましたけれど、今は、自分の手で作り上げることを重視し、作り込みたいと思っています。それを僕ができる素材は粘土。それを他の存在に置き換えて、僕が望むテクスチャが残る素材はFRPかなと思っています。着色はしていますが生のFRPの色に近いんです。結構FRPの色は好きなんです。
・・・今回の3人展のテーマは、「Life」。「怯える男」という作品は、「Life」を「生きる人」と解釈することで、生まれたように思います。
今回の3人展は「Life」というタイトルなんですが、あまりそれに囚われずに、逆にそれに囚われすぎると、世界が小さくなってしまうような気がしています。
・・・ただFRPという素材は・・・ガラス繊維やナイロン・ビニロンなど補強材を加えて成形した強化プラスティックですよね。プラスティックは土に還らないで地上に留まり続けるもの。作品を拝見していると、煩悶する人間の行き場の無さみたいなものを、かなり意識されているように思いました。
僕は人が隠しているものというか、悶々としているものに興味があって、それらは普段生活をしていても皆が隠しているもののように思うんです。
・・・怯える姿を隠しているということですか?
それはどこに向けていいかわからない力というか。そういうものを持っている状態です。それが僕の興味を持つ「人」の一面なんです。普通に生活するのにそういうものは必要ない。でも実はみんな持っているもののような気がします。コメントにも書きましたが、僕の妄想を刺激するモノや人が作品のモチーフなんです。