小嶋悠司「人・ひと・顔・かお・・・」展

戸村美術
東京都中央区京橋3-2-12 ステラビル2F Tel: 03-3275-4043
https://kgs-tokyo.jp/tomura.htm

【麻布、岩絵具、金箔、デトランプを使用し、人物像を終始一貫追及している小嶋悠司の小品展。
70年代の、作家30歳代から近作まで、「顔」「人物」を中心とした20点ほど展示】

1944 京都市に生まれる/1969 京都市立芸術大学専攻科日本画専攻 修了/1975 文化庁在外研修員として’76までフィレンツェに留学/1990 第1回京都新聞日本画賞展 大賞受賞/1997 第15回京都府文化賞 功労賞 受賞/1999 第12回京都美術文化賞 受賞/2001 芸術選奨 文部科学大臣賞 受賞
[個 展]
1972 彩壷堂(同’74, ’78, ’82)/1986 画廊 宮坂(同’92, ’98)、カギムラ画廊・京都(同’89, ’99)/1987 G上田ウェアハウス(同’91)/1993 いづみ画廊(名古屋)/1994 G鉄斎堂(京都,同’98)/1995 戸村美術(同’97, ’99他)/2000 京都市美術館/2001 練馬区立美術館/2002 豊田市美術館/2004 (財)蘭島閣美術館・広島
[グループ展]
1967 新制作展 出品(’74まで連続出品)/1968 新制作展 新作家賞 受賞(同’70, ’71, ’72)/1973 第2回山種美術館賞展 優秀賞 受賞/1974 創画会 結成に参加/1979 東京セントラル美術館 日本画大賞展 佳作賞 受賞/1985 第2回アジア美術展(福岡市美術館)/1988 日本画と現代(福島県立美術館)/1990 現代美術の流れ-日本(富山県立近代美術館)/1998 「日本画」 純粋と越境(練馬区立美術館,東京)他
[パブリック・コレクション]
東京国立近代美術館、京都国立近代美術館、愛知県美術館、富山県立近代美術館、徳島県立近代美術館、山種美術館(東京)、信濃デッサン館(上田)、彫刻の森美術館(箱根)、他
現在 京都市立芸術大学教授、創画会会員

・・・先生との出会いを教えて下さい。

十数年前にある方の紹介でお逢いすることができました。当時、私はアイル展を開催しておりまして、この展覧会は、Contemporary NIHONGA の先駆的存在であった岡村桂三郎、マコト・フジムラ、山本直彰らのグループ展で、同世代の実力派評論家に論文を書いてもらって毎回リーフレットを制作したんですよ。先生に初めてお逢いしたときにそれを手渡したのを覚えております。その後京都のご自宅に伺い、いろいろお話しさせていただいたんですけど、先生は寡黙な方なので、何を話したらいいか分からなくて、ずっと沈黙が続いて緊張しましたよ(笑)。それで展覧会をしたいという話になりまして、個展ではあまりにも恐れ多かったので、まずは二人展からお願いしました。

・・・二人展のお相手は?

同じ創画会会員の滝沢具幸先生です。その 「二人展」 を2回ほどしましたら、先生の方から個展をしてもいいというお話になりました。それが95年です。それからたびたび個展をさせていただいております。

・・・戸村さんにとって先生の魅力は。

まず作品が 「凄い!」 ですね。それにお人柄というか生き方に共鳴できるんです。先生は素直な、清楚な文章を書かれる方で、以前いただいた文章で、とても心に残っている文章があるのでご紹介しましょう。

『林司馬先生は、私にとり精神的、ささえでもあり続けています。入江波光に学ばれ、国展解散後、いさぎよく野にあって生活された先生です。模写を教えておられましたが、私が不安な時、必ず、自分の絵を作りなさい、自分の生き方をしなさいと云われました。私は戦後日本画を新しい日本画をと思い、描かれた多くの作家を知っています。
しかし、その中で私の尊敬する作家は、自己の生活感情の内で描いてこられた人であり、生き方の清い人である。私の好きな平安、天平の仏像や仏画が今日大切に残されているのは、生き方の清い仏師であり僧だったと信じている』

この文章をご覧になってお分かりになるように、ある年齢に達してから、「清い人が好き」 と言えることはなかなか使えない言葉だと思いますね。

・・・小嶋先生は密教にも精通しておられるようですが、作風はキリスト教的な要素も見受けられるような気がいたしますが。

直接先生にお聞きしたことはありませんが、お言葉から推測すると、30歳の頃に文化庁在外研修員としてフィレンツェに留学されて、チマブエやジオットなどの古典絵画に接しられてすごく感動されたそうです。またお住まいが京都の東寺の近くでしたので、そこで子供の頃から、仏像や密教絵画に親しまれたということです。ですから理性としてはキリスト教が、血の中は密教が入っているのではないかなと思いますね。この根源的な二つの宗教的な流れの中には、人間に対する思いや美に対する思いが根底にあると思います。今でも月1回比叡山の阿闍梨さんにお逢いになっているそうです。名誉欲なんかよりもずっと「いい絵を描きたい」と、純粋で真摯な気持ちで作品に取り組んでおられると思いますよ。

・・・戦争や公害など、社会問題に対しても描かれているということですが。

ただ仰々しく社会問題を声高に言うのではなく、自分の受けた感情を絵に盛り込んでいく。戦争反対がテーマとしてあるわけではなくて、受けた感情を織り物を織り込んでいくような感じで絵画を紡いでいるんだと思いますね。戦争とはなんだろう。人間とは何だろうといつもいつも考えられているんでしょうね。
たとえばイラクの虐殺問題や空爆などの事件があると、絵が描けなくなってしまうらしいんです。以前先生に、この絵は何年ぐらいの作品ですかと聞いたことあるんですけど、このモチーフはベトナム戦争の報道を見て、びっくりしたのでここに描いたんだと言われたことがあります。また湾岸戦争時には、油まみれになった水鳥を絵の一部分として描かれたこともありました。

・・・作品の題名は、「視」・「愛」・「凝視」・「生」・・・など、「穢土」のシリーズでは、『人間は死んで土に帰る。自然の一部になるべき』とも言われていますが・・・。

そういう意味もありますけれど、それにプラスして、今の世の中のこと、例えば自分たちのエゴや政治や不条理な問題などを含めた諸々の現世を題材にしていると思います。

・・・なるほど。「穢土」の意味は、仏教で、煩悩によって汚れているこの世という意味ですものね。ところで画材に岩絵具と膠彩、デトランプを使われていると書いてありましたが、デトランプというのは?

『デトランプ』というのは、フランス語で 「溶く」 という意味ですが、小嶋先生は、兎膠で溶いた石膏を下地・基底材に使うという意味で、使用しているようです。それに岩絵具を使われるときも、天然の絵具にかなりこだわりを持たれています。昔からある絵具は、何百年も経たものだから、これからも大丈夫だ。新しい画材は将来どうなるか分からないものだから、作品を残すためにも、絵の具にまでもかなり配慮されているようです。

・・・先生の作品に対する一般的な評価はどうでしょうか。

作家さんや学芸員の評価は高いんですけれど、市場相場になると、私が思っている以上にはやや評価は低いような気がしているんです。ただ根強いファンがいるので、今回の展覧会を見ていただければお分かりのように、一つ一つの顔が全部違うじゃないですか。ですから10点20点と集めている方もいらっしゃいますし、AJCオークションなどでも、今はメインのオークションに入ってきています。そういう意味では着実に評価は上がってきていると思っていますね。私は将来、香月泰男や鳥海青児のような根強いファンのいる作家になってくれることを期待してるんです。小嶋先生の作品は一見難しく見えるけれども、その姿勢を理解してしまうと入りやすいと思いますよ。

~30日まで。