伊藤一洋 展

なびす画廊  
東京都中央区銀座1-5-2 3F  TEL03-3561-3544  11:30-19:00 日休
http://www.nabis-g.com/

1997 武蔵野美術大学 工芸工業デザイン学科卒業/1999 個展 田中画廊/2000 個展 田中画廊/2001個展 なびす画廊/2003 二人展 なびす画廊/2003 グループ展 ギャラリーなつか.グループ展 田中画廊

その生い立ちは
祝福されるべきものか?
忌み嫌われるべきものか?

私の血が蒔かれ 大地とつがい
真白き炎を潜り抜けて来たこの一つ

「世界以前」に失った
あの肉体を取り戻すため
無い腕を伸ばし 未来から泣く
この液状の金色の子らを見よ

・・・まず金属との出会いを教えてください。

僕は武蔵野美術大学の工芸工業デザイン学科を卒業しています。この科は工芸と工業デザインに分かれている科で、僕は工芸を勉強していました。そこで金属を専攻しまして・・・金属の技法には大きく分けて彫金・鋳金・鍛金の3種類ありますが、僕は鋳金に心惹かれるものがあったんです。それで鋳造を覚えました。

・・・鋳造というのは一般的には溶かして液状にした金属を鋳型(いがた)と呼ばれる型に流し入れて冷却し、それが固まったところで鋳型から取り出して鋳物を製作することですよね。そうするとはじめに石膏や木やFRPなどの素材の原型を作って型取りするんですか?

今までは蝋原型を作っていたんですが、今回は原型はないんです。

・・・え?原型がなくても出来るものなんですか。

鋳造するには、湯道といって・・・湯道というのは、たとえばブロンズを湯口(ゆぐち)と呼ばれる入り口から鋳型(いがた)に流し込むんですが、その型にたどりつくまでの道みたいなものです。
僕は今、鋳金工房で働いています。原型は品物として納品されるので、その残った道から作り出されたものなんです。わかりますか?

・・・道ですか?

もともとこの形の原型を作ったわけではなくて、道だけがあったんです。プラモデルのランナーはご存知ですか。パーツとしてはいらない部分だけれども残っている縁みたいな部分がありますよね。そこだけを残しておいて削り出しているんです。

・・・なぜそういう手法を選ばれたのでしょうか。

原型があると、その形が鋳型に移って鋳型に移った形がまたブロンズに移るという行程を経なければならない。その工程を辿ることで、作品が自分からどんどん離れていっているような気がしたからです。原型を作るのが自分の仕事であって、鋳造することは火にそれを任せただけなのではないのかと・・・。

・・・なるほど。自分の手で何かを産みだすということですね。産みだすといえば、伊藤さんの作品は、物質として形をとらえるというよりは、有機的なイメージを感じますね。

今回の展覧会のタイトルは、“彫刻の本能”。
彫刻自身の本能とは何かといえば、作り出されることを待っているものだと・・・「これが彫刻ではなくて、これに込められているものが彫刻である。彫刻ということ」。それが背後の世界というか彼岸にあって・・・作り出してくれといっているのが彫刻の本能ではないだろうかと思ったんです。

・・・彼岸というのは、手前からはるか向こうを望む層みたいなものですね。作品の足元にある影が鏡面のように多次元空間を映し出しているように感じます。

作品を磨き込んでいるのは、映り込んでいる世界はこっちの世界なんだけれども、こっちにあってこっちにはないようにしたかったからなんです。

・・・ 作品が金色に輝いているのは光を意識しているからですか。

ええ。ブロンズは磨けば光りますからね。そしてこの蜜蝋自体も光を溜めてくれているような気がするんですよ。蝋に反射して光が見えたりとか・・・いろんな光がこもっている彫刻にならないかなと思ったんです。ただこの蝋は時がたつとひびが入ってきたり、割れたりするかもしれません。
彫刻は時空を旅するものであるならば、蝋がいつか消えてもブロンズだけで光が溜められるように、これから表現力をつけたいと思ってるんです。

・・・ファイルを拝見していると、pretensionが抜けて段々シンプルな形に向かっているように思いますが、これからの方向性としては?

今のところブロンズから離れるつもりはありません。以前は、最後に行き着くところは、一本の棒や板みたいなシンプルなものになりたいと思ったこともありました。まだそれが心の隅っこに残っているんですよ。何十年掛かるかわかりませんが、monolithのような存在に・・・。

monolithというのは、“ 一枚岩的な統一体”を指すそうです。~25日まで。