石橋貴男 個展

2007年3月13日(火)-18日(日)

ギャラリーエス

東京都渋谷区神宮前5-46-13ツインエスビル

TEL 03-3407-1234

関連情報

<略歴>
1979 北海道生まれ
2003 多摩美術大学美術学部彫刻科卒業
2004 多摩美術大学大学院美術研究科入学
2005 財団法人モ−レイ育英会奨学生
多摩美術大学奨学生
<個展>
2005 (彫刻人形展)gallery j2, 東京
(彫刻人形展 弐)多摩美術大学彫刻棟ギャラリー,東京
2006 (彫刻人形展・参) ギャラリー山口
<グループ展>
2005 二人展〈石橋貴男と本柳礼文〉テアトル・デ・ソンスギャラリー,東京
“アート学生in NY”Ise Cultural Foundation Summer Festival NY Gallery, Soho-NewYork
“東京コンペ” 丸の内ビル,東京
<受賞>
  “You パックアートコンペ” 特別賞 京都嵯峨芸術大学
“アート学生 in NY イセファンデーション賞 Ise Cultural Foundation, サマーフェスティバル
<その他>
  NY Gallery,Soho-New Yorkと一年間の作品委託契約

自己の内省から生まれてくるキャラクター「彫刻人形」達。そして彼等が織りなす葛藤や軋轢。今回の展示は、キャラクター個々の関係性より構築されてゆく世界像の一端を、個と全体という両方の視点よりひとつの空間の中に表した(現した)ものになっています。
色とりどりの「彫刻人形」達を、肩の力を抜いて、気軽に覗いて頂けると幸いです。

・・・タイトルから教えていただけますか。

「リトルリトルヤード」と言います。
今までは単体一つ一つにピントを合わせて、そこにテーマ性を持たせて掘り下げて完成させていくという手法でしたが、今回はピントを敢えてぼかして距離を置いて少し引いた目線から、そのモノが持っている世界像と言いますか。取り巻く空気感みたいなものを表出できないかと思ったのです。作品にはキャラクター性を持たせているのですが、以前のように個々に名前を付けていません。

・・・自我からの転換ですか。

そうですね。個体にピントを絞ってテーマ性を持たせて制作していくと、自分の内省との葛藤になっていってしまう。そこにはどうしても不安な暗いイメージがつきまとう。単純に言えば、ダーク系の色を使う傾向が多くなってしまったということです。それで今回は自我を超えて非人称的な眼差しを持たせるために、ビビットな色を使ったのですが、同時に消費されていく物としての記号的意味合いも付随させられたのではないかと思うのです。素材にポリエステルやカシューやFRPなどの曖昧な中間素材を使っているのも、それをより強調するためといいますか、価値の貧しい表層的で単一的な時代性を表出させるための装置としての側面も考えています。

・・・以前の取材で、一見キッチュな文脈から日本の曖昧な「今・ここ」が表出すると言われていましたが、「彫刻人形」という物を記号化することで共同主観的な存在へと変貌させたということですね。

メタレベルからの視線で見ることができるというのは、サイズ的な問題がクリアできたからだと思います。ただ「彫刻人形」は記号化したけれども、基本的にキャラクター性を残しているので、喜怒哀楽などの情動というか、怒りや悲しみ、ある意味怨念みたいなものがにじむような作りにしてあるのです。何故かといえばそこにカオス的エネルギーの根元を見て欲しいので・・。むしろ万物との呼応関係を成立させたかった部分はあります。

・・・呼応関係というのは、コンクリートの地面の持つ質感、例えば冷たい、殺伐、虚無的なイメージとの照応ですか。

ええ。ある意味、意味発生の場を形づくれるのではないかと思ったのです。また異形の物たちが場を形成することによって、他界との通路になりうるのではないかと。そこには生と死が混在し流動し続ける。それをギリシャ悲劇的な劇場的な手法で描きたかったといいますか。ディオニッソス的要素は生命を活気づかせるものだと思うので・・・。でもそうかといってコンクリートの場に日常性を分断させる意図が在るわけではなく、あくまでも日常の地続きとして誘導しています。

・・・見る側は日常性を抱えながら、位相の空間へと導かれるということですか。身体がバラバラになっている様を見ていると、崩壊と再生が繰り返され、何かが生まれる予兆を感じます。

パーツはすべて組み合わせを変えられるのです。身体を入れ替え可能にしているのは、自己(セルフ)は他者との関係性の中からしか見いだしえないと思っているからなのです。イメージをジョイントする方法をとることによって、共通了解の部分を生み出し、分断することによって逆説的にメタファーとしての生命エネルギーが表出する。人間はそういう部分からしか「生」を感じえないのではないかとも思うのですよ。この「彫刻人形」は、人間という存在を開示するひとつの入り口になればと思っています。

〜18日(日)

(c)Ishibashi Takao