αMプロジェクト 2006 Vol.7
生命の部屋7・森燐展

2007年2月26日(月)-3月10日(土)

11:30-19:00 日・祝休

art space kimura ASK?

東京都中央区京橋3-6-5 木邑ビル2F

TEL 03-5524-0771

関連情報

森燐氏 画歴
1967 長野県松本市出身
1981 人間の死体を発見する
1991 武蔵野美術大学造形学部日本画学科卒業
1993 武蔵野美術大学大学院美術専攻日本画コース修了
1997-98 渡仏 (武蔵野美術大学パリ賞・Cite internasionale des arts滞在)
個展
1994 “トリックスター” (フタバ画廊・東京)
1995 MONO‐語り (フタバ画廊・東京)
1996 La102’ (小山荘102号室・東京)
1997 黄泉国 (松明堂ホール・東京)
埋葬儀礼(三郷村・長野)
1998 MORT (Cite internasionale des arts・パリ)
2000 Pick up works 1991-2000 (ギャラリー深志・松本)
2001 ‐KEIMEIKUTOU‐ (メタルアートミュージアム光の谷・千葉)
2003 シンクロダンス四十八手 (日本橋高島屋・東京)
2005 99のかおをもつライオン (white cube kyoto・京都)
グループ展
1991 坂の上で待ってる (鶴飼家・鎌倉)
1992 結婚祭り美術 (富士本栖湖畔・山梨)
1994 ノ会Shi-no-e (ギャラリーミハラヤ・東京)
1996 第3回美の予感展 (高島屋・東京他)
1998 ノ会Shi-no-e U (淡路町画廊・東京)
1999 橋の会 (日本橋高島屋・東京/2003年まで全5回)
2000 表現の磁場‐日本画の現在‐(武蔵野美術大学美術資料図書館・東京)
2001 新世紀をひらく美 (高島屋・東京他)
2002 ノ会Shi-no-e V (Keyギャラリー・東京)
2006 小説を描く‐日本画作品展‐ (松坂屋別館美術画廊・東京)
ノ会Shi-no-e FINAL (コートギャラリー国立・東京)
コンクール展
1992 第9回FUKUIサムホール美術展 準大賞 (福井)
1995 第13回山種美術館賞展 (東京他)
1997 第11回多摩秀作美術展 佳作賞(青梅市立美術館・東京)
1999 第1回トリエンナーレ豊橋 優秀賞 (豊橋市美術博物館・愛知)
パブリックコレクション
豊橋市美術博物館
福井カルチャーセンター
松本松南高等学校

・・・タイトルは「百物語絵巻」。楮紙にインクジェットプリントということですが、技法的には写真ということでよろしいのでしょうか。

技法的には写真ですが、僕の中では版画に近い感覚です。ただ僕の表現メディアは、意識はすべて日本画のままなんです。少し噛み砕いて言えば、僕は日本人だしどこに帰るべきかといえば日本だろうなと、そういう基点があるからやっていかれるといいますか。ですから技法というよりも日本(画)という思想みたいなものがベースにあるのかもしれません。

・・・それが、オブジェ、インスタレーション、絵画、写真、絵本など表現手段は多岐に渡っていても、すべてに通底しているということですね。

ええ。今回の「百物語絵巻」でいえば、和紙が重要なんです。日本画を描いていますと、いろいろな和紙を手にする機会がありますけれど、その中でも薄手の和紙というのが如何に丈夫なものであるかとか、伝統的に何世代にも渡って使われ続けているものであるとか、感心する部分が多いのですが、僕の気になるのは皮膚感覚なんです。和紙の触感には皮膚に近いものを感じます。

・・・「手」を主題にした作品を作ろうと思われたきっかけは。

初めにこういう形にしようと思って手を集めようとしたわけではないんです。非常に個人的なんですが、ここに展示してある手は僕が実際に握手した人たちだけです。ぱっと見た感じではわからないかもしれませんが、性別、年齢、人種すべてバラバラなんですよ。全部で160人いるのですけれど「こんにちは、よろしく」という関係になった人たちです。これらの手を見ていると、その人の顔が見えてきませんか?例えば指先だけとか眉毛だけとか耳だけでも。その人が見えてくると思うんです。一つとして同じものはないというか。それを連続した形で見せようとしたときに「握手しようとする手」の絵巻という形状が浮かんできたのです。

・・・いろいろな手の表情がありますが、例えばこの手の浮かび上がり方には、マンレイのソラリゼーション的な効果も見えますね。

確かにそう見えますね。でも切り抜いているだけですので、それぞれの輪郭線というのは自ずと変わってきます。撮り方としては、ライティングをしてバックに白い紙を置いて撮ったわけではないですから、その都度いろいろな状況で変わるわけです。例えば酒蔵の中で撮ったりとかギャラリー内で撮らしてもらったりとか、ですからそのときの空気感が色に出ていると思います。手の周りの余白にモヤモヤしたものが見えませんか。酒蔵で撮ったときはバックにレッドブルの缶ケースが積んであったのですが、それをわざと残したりもしています。

・・・そういう空気感が、掌と手の甲の部分に微妙に含まれているから、あたかも手が息をしているように見えるんですね。そういう意味で皮膚感覚を感じます。紙と手が一体になって呼吸しているような生命観といいますか。

そう。呼吸感覚ですね。これは和紙だからこそ得られるものだと思います。

 

・・・今回の展示は時系列に並んでいるのですか。

そういうわけではないです。ただ描きたいのは「刻」。「刻」というのは命そのもののような気がしていて、この中には赤ちゃんの手から八十歳を超えているような人たちの手もあります。うまく言葉で言い表せないんですけれど、これは瞬間と言えば瞬間なんです。命そのものの瞬間を捉えているというか、それがまた別の命と出会っているというか。握手というのは、英語でシェイクハンドと言いますよね。その語源を考えてみると、手を預けるというか。託すというような意味があるんです。フランス語ではドネ・ラ・マンと言いまして、ドネというのは与えるという意味でマンが手。ですから意味としては手を与えるで握手なんです。日本ではしませんが、ヨーロッパでは当たり前のように握手をしていて、僕は握手が好きで昔からよくしています。そして今回は握りあった手ではないところが大事なんです・・・。

・・・といいますのは?

この後本当に握手をするかどうか実はわからなくて、指相撲をするかもしれないし(笑)。でも出会ってとにかく向き合うところから何か新しい物語が始まる。それは関係という言葉に集約されるかもしれないし、ある意味「間」みたいなものかもしれない。僕はその「間」が一番美しいと感じるのです。

〜3月10日まで。

(c)Mori Tsuyoshi