竹内 啓 展
-山の胎内より-

2006年11月20日(月)-12月2日(土)
11/23のみ(休廊)

香染美術

東京都杉並区阿佐ヶ谷南1-10-1
TEL 03-3314-9106
11:00-19:00

--関連情報--

・竹内 啓 作品 香染美術

略歴
1960 長野県生まれ
1983 サロン・ド・プランタン賞 受賞
1985 東京藝術大学大学院美術研究科日本画専攻 修了
主な展覧会
1986 Yellow studio Works 1st '87 '88 埼玉近代美術館
1987 個展 '89 '91 '92 '95  玉屋画廊/東京
1988 個展 ギャラリーなつか/東京
1989 飛翔展 〜’98 玉屋画廊/東京
1990 個展 採光舎ギャラリー/埼玉
1993 個展 早見芸術学院エントランスギャラリー/神奈川
  現代絵画の一断面 「日本画を越えて」 東京都美術館
1995 個展 西武百貨店/川崎
1997 現代美術の展望「VOCA展'97-新しい平面の作家達-」 上野の森美術館
  第14回 山種美術館賞展 山種美術館/東京 各地巡回
  個展 Japan Foundation Gallery/Sydny
1998 「日本画」-純粋と越境展 練馬美術館/東京
1999 トリエンナーレ豊橋-明日の日本画を求めて- '02 豊橋市立美術館/愛知
2002 個展/パフォーマンス Mirramu Creative Art Center/Camberra
  個展 アートギャラリー閑々居/東京
2003 岡村桂三郎と二人展/ワークショップ Japan Foundation Gallery/Sydny
2004 超日本画宣言 練馬美術館/東京
  個展 香染美術画廊/東京
2005 META展(神奈川県民ホール)
2006 現代「日本画」の展望-内と外のあいだで-(和歌山県立近代美術館)
  個展 香染美術画廊/東京
パブリック・コレクション
  賛美小舎/練馬美術館

 

・・・全体のタイトルは「山の胎内より」、作品を拝見していると山のもつ計り知れないエネルギーを描かれているように思うのですが、ご説明頂けますでしょうか。

以前から山や海や湖などで描いて来ました。全て現場で何かを感じたときに、地面に直接、和紙を敷いて即興で描くということをして来たんです。今回タイトルを「山の胎内より」としましたのは、山のもつ生命力を描きたかったからです。制作にあたっては、山形県に羽黒山、月山、湯殿山とあるんですけれどもそこをずっと歩いて寝泊まりして描きました。その他の作品は、私の住んでいる埼玉県の山であったり、富士山の近くの山であったりします。

・・・昔から月山は死と再生の聖なる山として信仰の対象になってきたのではないですか。

時代によって設定が違うらしいのですが、月山、湯殿山、羽黒山で現在・過去・未来につながっているらしいんです。【羽黒山には現世の衆生を救う観音菩薩、月山には、死後(過去)の世界の阿弥陀如来、湯殿山には未来を象徴する大日如来をそれぞれ祀ってある。三つの山々を歩くことは、現在、過去、未来という生命時間を旅することを意味している】実際に湯殿山で(社殿はなく巨岩からわき出る温泉神竜が御神体となっている)岩を触ると暖かいんですよ。とても不思議だと思いました。

・・・山は生きているんですね。今回も実際に登られて描かれたのでしょうか。

ええ。湯殿山では沢登りをしました。深い山との関わりを体験してから絵を描きたいと思いまして、今回は山伏の方に案内をして頂いたんです。沢が狭くなって流れが激しくなっていくと、水の勢いを感じたり、岩の間から流れている水を見ると、体内をめぐる血が循環しているような生命感を感じたりして、歩いていくうちに自分が段々溶け込んでいき、その中の細胞の一部みたいな感じになっていくといいますか。山全体が一つの生き物みたいな感じがするんですよ。そうした中でこれは夕方に描いたんですが・・・。

・・・タイトルに「月山 PM7:00/AUG 2006」と書かれているのは、この時間に何かを感じて描かれた痕跡みたいなものとしてとらえればよろしいですか。

タイトルは自分がその場所にいたという記憶みたいなものですね。PM7:00は筆を置いた時間なんですけど、描き始めてからの間は、音楽と同じで時間が途切れないんです。そしてその場で起こったことは全て受け入れようと思っています。実際に乾かしている間(一晩おく)に、鳥が画面の上を歩いたり山ならではのことが起きるんですよ。ですから後であまり手を加えたく無いというか。山から帰ってきてから、もう少し色を加えたいなと思っても、我慢して手を入れないんです。気持ちがずれてしまっていますから、入れると必ず悪くなってしまう。

・・・日本画では写意を尊びますから、まず景色や物をありのままに写しとることを学びますが、それは物の形を正確に表現するというよりも、何かを感じ取って描くということではないのかと思うのです・・・。

形を写すということよりも、形では表現しきれない何か・・・単純に言えば、感動して描くということでしょうね。夕日が沈むときの空の色を見ていると、これを何とか表現できないかと思う。そういう状況のときに筆を持つと、意識的に何かを描くというよりも、すでに筆に絵具をつけて描いてしまっている。変な言い方に聞こえるかもしれませんけれど、何かが乗り移ったように描きたくなって来るんです。

・・・乗り移ったようにといわれたのは、場に流動しているエナジーみたいなものが身体に入って来ているからかもしれないですね。もうずっとこの制作方法で描かれているのでしょうか。

10年以上描いています。はじめは写生が好きで描いていたんですけれど、段々と形を描くことに自問自答してしまって・・・以前から空の表情に興味があったのですが、特に雲は形がとてもいいなと思って描いても、描いているそばから形が変わって無くなって行ってしまう。これをいくら追っていっても表現しきれないと思いまして、写実的に描くということは諦めて、それよりも自身で感じていることは確かなんだから、それを直接記憶する方法は無いかと模索し始めたんです。実際に制作しているときに感じているものは、見るにしても絵具を塗るにしても、直接的な行為は全部一体になった運動といいますか。その中から生み出されてくるものがあるような気がするんです。

・・・絵を描くことは手段ではなく、描きたいという気持ちがいちばん大事、それをどうストレートに表現するかなんですね。

僕の場合は絵具そのものも大事ですが、水に手伝ってもらっているといいますか。たらし込みなど昔からある技法があるんですけど、水という半ば自然が相手なので自身が思った通りにはいかないんですよ。その場所の地形に合ったところで水が動いてくれるといいますか。

・・・水が動いてくれるというのは?

自然現象と同じように、例えば山で湧いた水が山を伝わって川になって地面に溜まりますよね。それが画面上でも起こってくるんです。

・・・日本画の場合は、水や膠を使うわけですから、人間の手で自然のものをコントロールするというよりも、コラボレーションして描かれているということでしょうか。

陶芸を思い浮かべてもらえればわかりやすいと思います。釜に入れるまでは人間が作業をし、後は火の力を借りて創るわけです。それと同じようなことを水がやってくれるんです。水は地球全体を司さどっています。ただの物質というよりも、心や精神と物質的な現実との間に存在するようなメディウムみたいなものだと思うんです。

・・・人間の体内も70%以上が水で構成されているわけですものね。

それも止まっているわけではなくて、常に皮膚から蒸発して空気中の水分とも合流している。それが画面とも合流して、つながっているということなんです。意地悪な言い方をすれば、水のもつ偶然性に任せているだけではないかということも言えるのかもしれませんが、そうではなくする為には、自分自身をこれ以上迫れないというギリギリのところまでもっていかないと、水が呼応してくれないと思うんですよ。逆にギリギリ自分の命を差し出すくらいのところで接すると、「そう来たか」と、ハッとさせられるようなものが出てくる。他力ではないですが、自然が手伝ってくれているような気がすることがありますね。

〜12月2日(土)まで。

(c)TAKEUCHI SATORU