飯村昭彦 写真展
〈芸術状物質の謎 3〉

2006年11月4日(土)-14日(火)

香染美術

東京都杉並区阿佐ヶ谷南1-10-1

TEL 03-3314-9106

11:00-19:00

 

・・・まずテーマをお聞かせください。

―テーマはあったのですが展覧会をまとめた時点で忘れてしまい思い出せません。― 超芸術トマソンとの関係で言うと私の今回の作品はトマソンではないのですが作家はいないけれども結果として芸術のようなものになってしまった物質を撮っていて、それは広い意味で超芸術の一種と考えることができるかもしれないとは思っています。

・・・芸術というとかなり難しいイメージがあるんですが、自分の身を縦に貫いている記憶の層みたいなものに、視覚がフィードバックして・・・それが身体を通して表出してくることではないかと思うのですが・・・。

現代の美術というのは無意識の解放が一つの大きなテーマだから、それは必ずあると思います。特に抽象表現主義は、なるべく自分を無にしていって、画材や自分の身体に語らせるわけじゃないですか。理屈を言えばそういうことです。

・・・ネットで拝見したのですが、〈芸術状物質の謎 2〉のコラムに、観察によって対象物の「声」を具現化すると書いてありましたが、人間がものに言葉をつけた時点から、もの(存在)として認識することができた。だから言葉になる以前の原初の状態は、無意識の部分と呼応するのではないかと、逆に言えば言葉をつけることによってしか、ものは認識することができないわけですよね。

特に写真はそうですよ。それがないとつまらないし、写真は言葉あってのものだと僕は考えています。ただタイトルの下に長い説明文をつけてしまうと読んでもらえないし、うるさくなるからやっていないんですが、本当は本のような形の方が良いのかもしれないと思っています。

・・・ただ印刷物というのは、ペタッとしていて空間観が圧縮されるのではないですか、タブローでも実際に見たものとは違うように思いますけれど。

私の写真の場合オリジナルは現実の物質であって、その写真をタブロー風に仕立てようが本にしようが、結局デザインの違いに過ぎないわけです。タブロー風の方が偉いとは思っていません。

・・・アンチ的な意味でということですか。

アンチではないんだけれど、「こういう芸術ってあったよね」というものもあるから、そういう対比で見てもらうと面白いじゃないですか。

・・・確かに人間は自身の文化の中にいる限りは、生まれおちてからどこかで目にしたものばかりですよね。意識する意識しないは関わりなく、どこまでがオリジナリティーで、どこからがコピーなのか判別することできないと思います。

どちらがどちらか言えないところはありますね。花がきれいというのは、人間が見てきれいだなと思うのと、元々花はきれいだの二つじゃないですか。それと似たようなことは、ゴミの中にもあるんじゃないかなと思いますよ。

・・・ゴミの中にもですか?

僕が言いたいのは「僕の写真でゴミが美しく見えるのは花の中に美しさが元々あるようにゴミの中に美しさが元来備わっているからだ」という意味です。この見かたを最初から拒否しているのは先入観を持った人間の方です。
 カメラにはそういう先入観が無いから元々の美しさを写しているだけなのです。
街の放置物をよく見れば絵画や工芸品と同じことをしてるんですよ。何層にも塗り重ねて、スクラッチを入れて下の色を出すとか、上にワックスをかけるとか、何かを貼りつけるとか、同じことをやっているから同じ風になるに決まってるんだけれど、意外と見過ごされていると思いますね。

・・・写真はフラットに全て写してしまうということですか?

人間は一カ所をじっと見ることはできないので、一回写真にしてみると色々なところが見えるわけですよ。人間の目はいっぺんに見るには集中してるところが狭いから、視野のどこかに入ってるんだけれども以外と見てないですよね。でも写真にすれば・・・例えばこの写真であれば、僕はボールの跡が面白いと思って撮ったけれども、ここにナメクジが入って来ているわけです。人間の目はそういうことを同時には見られない。ナメクジが気になればナメクジばかりを見てしまう。それに光の状態もどんどん変わっていくわけだから、ある光の状態のところで止めて見るなんてことはできないわけです。それに人間の目よりもカメラの方が性能が良い面がある。人間の目は邪魔になるものをキャンセルする装置がついているじゃないですか。例えばガラスの反射の映り込みがあれば、人間の目はそれをキャンセルして見てしまうわけです。でもカメラで撮せばすべて写ってしまう。だから本当はこう見えていたという世界なんです。

・・・写真は撮影者の視線だとずっと思っていました。

そうじゃないんですよ。写真好きの人はカメラ好きの人が多いじゃないですか。それはカメラに仕事をしてもらうからです。カメラに機嫌よく仕事をしてもらうのはどうしたらいいかと考えて、最終的にカメラさんどうぞともっていくわけです。それが人間の仕事なんですよ。だから個性は入ってこないと思うんです。そこで個性を発揮しようとするとすごく大変なことになる。個性が入ってくるのはそこじゃなくて、撮り手が何を見ているのか、これは面白いねというところに個性が入ってくるわけですからね。

・・・そうしますと、「超芸術探査本部トマソン観測センター」の会員(?)でおられる飯村さんは、看板や壁を撮影し、一見芸術には見えないものを、カメラを使って芸術の原点として変換させているということですか。

そんなおこがましいことは考えていません。「トマソン」はよく現代美術を揶揄しているのではないかと誤解されるんですが、僕らは元々現代美術が嫌いなわけではないと思います。現実に超芸術のような物が存在することに気がついて、よく見ればたくさんあるじゃないか、それをまだわかっていない分野として探査して行こうということだと思っています。

・・・資料は相当溜まっているんですか。

それが途中が抜けているんですよ。途中でこれはブームだからもう終わったものと皆が思ってしまったんです。だけど20年経って昔の報告書を見てみたら、これは面白いじゃないかということになって、ブームとしてではなくてこれを地道に続けるべきじゃないのかなという風になっていきました。

・・・「超芸術探査本部トマソン観測センター」のきっかけというのは?

赤瀬川原平さんのクラスが美学校にありまして、そこで考現学という授業がありました。かつて四谷にただ登って降りるだけの、(70年代に消滅した)階段があったのですけど、この階段には何かの目的はなくて、階段のための階段だから、これは純粋階段ではないのかと・・・。
世の中には役に立たないけれど大事に保存されている美しいもの、その在りようがまるで社会に対する芸術のようなものがある。よく見るとどうもたくさんあるみたいだよという話になってきて、調べてみようということになりました。

・・・街の中を歩いていて、気がついたものを撮るということですか。

僕にはこういう風に見えてしまうんです。

・・・なるほど。皆当たり前のように見ている世の中だけれども、全員違うように思っているのではないかと以前からずっと思っていました。

色もそうですが、それは間違いないですね。ただ共通項はあると思いますけれどね。

・・・そうじゃなければ、社会は崩壊しますよね。そうすると報告書がまとまると発表会をされるわけですか。

ええ。4月に「超芸術探査本部トマソン観測センター報告発表会」を行ないました。これは全国から寄せられた超芸術トマソンの報告書のファイルを全て公開し優秀物件をピックアップして展示する催しでした。来年2007年の3月15日〜25日香染美術でまたやりますので報告したい物件を発見されている方は是非物件の写真を貼付し状況説明の文章、地図、所在地、発見者を記入した報告書を早めにセンターに送ってください。報告用紙の請求先は香染美術までお問い合わせ願います。

どうもありがとうございました。

〜14日(火)まで。