ギャラリー椿 presents

渡辺達正 展
2005年12月21日(月)〜12月24日(土)



東京都中央区京橋3-3-10 第1下村ビル1F  TEL 03-3281-7808
http://www.gallery-tsubaki.jp/tsubaki.html
a.m.11:00〜p.m.6:30(日曜・祭日休廊)

・・・今回の作品のタイトルは「星」「煙」「深海」「波」「化石」など。
私は先生の作品を2000年
http://www.gallery-tsubaki.jp/2000/001204.html)からしか拝見していないのですが、銅版画のいろいろな技法の材質的効果を熟知して、各々の材質に即したイメージを表出されているように思うんです。かなり研究を積まれて・・・。

要するにマチエールとメチエを研究している段階で、それにあった自分のイメージが出てくるということはあるでしょうね。
私は銅版画の技法書『銅版画ーさまざまな技法による銅版画の実際』(創元社)を32歳のときに書いていますが、古来からの技法書を頼りに勉強して、そのときに基本的な技法は全部クリアしてから本を制作したんですよ。

・・・一見すると銅版画は硬質なイメージがありますが、先生の作品は、流麗な線がariaのような旋律を醸しだし、いつしか無限の空間に誘われていくような浮遊感を覚えます。

他の人がやらないような表現方法を使って制作しているのは事実です。それはメチエを研究しているうちに生まれてきたこと。イメージがあったから技術を研究するのでは遅いんです。例えば音楽の学理を知っていても、声が出ないのに歌えますか。発声練習をすることが大事だし、もっと厳しく言えば絶対音感がないといけないという世界です。三日休めばその分を取りかえさなければいけない。厳しい修練が必要・・・そういう要素が銅版画の中にあるんです。だから1番最初にやらなければいけないことは、発想ではなくて表現する手段をがっちりと身に付けて消化しておくこと。そうしないといくら良いイメージが出ても難しいんですよ。手を使って表現するのであれば、そういう基礎的なことを疎かにしては、表現の幅が狭まると思いますね。

・・・以前中林忠良先生にお話をお伺いしたときも、銅版画はとても奥が深いと思いましたが、その歴史も古く15-16世紀に欧州から始まり、ずっと受け継がれてきたものですよね。ただ現代にそれを踏襲するには根気が必要ではないですか。

昔からの職人の技術として捉えると非常に難しくなりますね。これは物理的に、科学的に考えていけばいいんです。モチーフの版のドットを有効に作り出して、しかも手に負担がなく削れるように版を作る。そういうふうに考えれば、できるわけです。そして技術をしっかり習得し慣れてくれば、イメージと一体化して力強さが生まれる。そうならなければ自由な表現はできない。それに研究する方法ですよ。インクでも、いいインクを作ろうと思えば自分で研究する必要がある。科学的にそのインクが将来安定した画面を保ちうるかということを考えて作れば、50年や100年は持つけれど、それを考えないで深い腐食に柔らかいインクを使っていけば、10年もしないうちに劣化してしまう。研究されなければ何も表現は生まれないんです。今まであまりにも日本の版画は、安全性を疎かにしてきているようにも思いますね。

・・・自分の身体で培って、経験値を積み。 インクの調合、防蝕剤、削る道具、磨く道具を自分なりに工夫をするということですね。それには良い道具も必要になりますね。

例えばスクレパーであればそれを全部調べて、いいスクレパーを手に入れて制作しているんです。日本刀を作る職人に作ってもらったものもありますよ。技法書は残っているからいいんですが、道具はコレクションをしなければいけない。何故かというと、それがなくなれば終わりだからです。エングレービングに使うビュランのいいのも毎年少なくなってきていますし、同じ道具でも毎年買っているんです。それは作る職人がいつ変わるか分からないからなんですよ。

・・・それをお聞きして、先日、日本画を描いているマコト・フジムラ氏が「日本画は、紙を作る人、絵具を作る人、筆を作る人たちとのコラボレーションによって成立する」と、言ってらしたのを思い出しました。

雁皮紙でも四国で作っていた方が辞められてしまったので、もういい雁皮紙はあまり残っていないんです。

・・・そういう方たちが育成されてこないとかなり厳しい状況なんですか。

そうですね。でも、そういうものがあったということは教えられる。2,3本の道具しか持っていなければ、それでしか作れない。見て知っておけば作る側も自分たちで考えていけるんです。知らなければわからないわけですから。私が普通の作家と違うところは、どうしたらその技法を分かりやすく今の若い人に、伝えることができるかなんです。ただ道具一つとって、手で触らせてもなかなか伝わらない。それで研いだものと研いでないものを200倍ぐらいに拡大して見せるんですよ。そうすればどういう状態になっているかはっきり見えるわけです。

・・・目で見て触って身体で覚える。ところで今回は銅版に石膏を流し込んだ作品があるとお聞きましたが、それも何か関係があるのでしょうか。

この方法ならば、プレス機がいらないということです。銅版にメゾチントを彫ってその上に、石膏を流し込み。石膏が固まれば版のインクは石膏についている。

・・・それを刷るんですか?

流し込むということが刷るということなんです。これは石膏の1センチの板なんです。石膏刷りは菅野陽さんの「銅版画の技法」を見て挑戦したいと思って作ってみました。石膏の地肌が紙と間違えるくらいになっているのは、非常に細かいエンボスのついたエンビ版を使っているからです。技法書にはガラスの所でやりなさいと書かれているんですが、そうするとつるつるした硬い石膏の質感を感じてしまう。エンボスのついたシートは空気が入るので面倒くさいんですが、紙と同じ質感になるんですよ。ただ、このままでは汚れるので今回はアクリルケースに入れました。この方法であれば、銅版画をプレス機がなくても教えられる。プレス機がなくもっと存在感のある版表現ができるんです。

・・・そういう工夫があり、作る人それぞれが極めていないと見えてこない世界なのかもしれませんね。

日本画であれば、いい刷毛で引けば顔彩が立つと言うじゃないですか。そうしないと光が当たったときに、本当の色が出ない。そういうことです。

〜24日(土)まで。

(c)WATANABE TATSUMASA

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