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・・・ギャラリー川船での個展は2回目。
今回は「日常を刻み込む花々たち」をテーマに描かれていますが、1977年に「ドローイング 新聞」のシリーズを、80年代は「365日の自画像」のシリーズを発表されている。花へ移行していったきっかけを教えて頂けますか。
新聞のシリーズは東京にいたときの作品で、自画像のシリーズは広島の時代です。その後、山口県に越しまして、もうかれこれ20年近く住んでいます。そこは名所旧跡があったり観光地化された場所ではないので、特に自慢できるというものはありませんけれど、とても自然が豊富な場所なんです。ただそこに移り住んでからは、以前のような新聞や自画像などのモノクロームの鉛筆画が、描けなくなったんですよ。5,6年スランプな状態に落ち込んでしまって・・・。
・・・それは何故でしょう。
田舎で暮らしてみたら、そういうものにリアリティーを感じなくなってしまったんです。それで身近に咲いている花を少しずつ描くようになっていきました。でも描くといっても・・・例えば藤の花であれば、1年のうちのほんの1週間咲き誇るだけ。短い期間だけ別世界になるんです。「そんな不思議な世界が身近にあるんだ」と気づいて、本当に花の世界が見えるまでには、10年かかりました。
・・・画材は色鉛筆を使われているのですか。
花はいろいろな色がありますから、色鉛筆で描くには適していると思っています。元々鉛筆画からはじまっていますから、色鉛筆に移行するのは自然な流れだったんです。
・・・色んな色を丹念に塗り重ねていらっしゃいますね。
最初に鉛筆で細かい下書きをしてから、塗り込んでいくんです。塗り重ねて色を作っていますので、1箇所だけ見ても5,6色塗り重ねています。時間のかかる仕事です。でも毎年同じ場所に根を張って花を咲かせる植物たちを見ていると、私自身も終の棲家として選んだこの場所に、根を張って骨を埋めるつもりでおりますので、徐々に一体感を感じるようになりました。
・・・その一体感が画面からの光となって、放射されているんでしょうね。
光というのは、花にとっても人にとっても、とてもありがたいものです。光があって植物は成長できるし、優しい光というのは、ある種神秘的なイメージをもつものだと思います。
・・・光があれば闇があるように、花には生命の循環を感じさせるような死生観を伴うもの。人のメタファーとしての花を描かれているんだと感じました。
この花たちは、演技をしているような人々にも見えるかもしれないね。
・・・吉村さんの作品を拝見していると、痕跡を描き写しているようにも見受けられますが・・・。
私の描いてるモチーフは、自分の身近にあって、毎日描けるものを鉛筆で描き写していく。その行為は、自分自身の存在を確かめる行為でもあります。はじめは自分のイメージを絵にしたいという思いから油絵を描いていたんです。でも行き詰まってしまって・・・「描き写すことに専念してみよう。描くマシーンとなってみよう」と思ったときに、新聞紙が目にとまったんです。当時はイメージを表現することに、臆病になっていた部分もありましたので、描き続けることで自信を取り戻せました。やり続けることが自分の自身の存在を確認することにつながったんです。最初にそういうコンセプトがありましたから、コンセプチュアルな作品だったと思っています。ですからこれらの花たちも、はじめは写真に撮って描き写していましたが、最近になって単に描き写すだけではなくて、自分のイメージが段々出てくるようになったんです。だからといってイメージだけで絵を作るのではなく、自然に従いたいという気持ちがあります。自然をねじ伏せるとかではなくて、自分はそこで生活しているわけですから、それに従う。
・・・自然に寄り添っていくような感じですね。
寄り添いながら自分が信じたものを続けていくことによって、自分自身が成長すると思っています。
〜22日(土)まで。

(c)YOSHIMURA YOSHIO
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